「大山八幡大神社(おおやまはちまんだいじんじゃ)」は、愛媛県今治市別府に位置する神社で、地域の歴史や文化を象徴する存在です。旧村社としての格式を持ち、古代から人々の信仰を集めてきました。その由緒や境内の特色について詳しくご紹介します。
創建の起源①
大山八幡大神社の起源は、和銅5年(712年)にさかのぼります。当時、元明天皇の勅を受けて、雷神である高靇神(たかおかみのかみ)がこの地に勧請されました。この時代、神々を勧請することは重要な行事で、雷神の力を借りることは農業や治水の安定、ひいては地域の繁栄を祈願する重要な儀式でした。
その後、貞観元年(859年)には、奈良の大安寺の僧である行教が宇佐八幡宮に90日間参籠し、神託を受けました。そして翌貞観2年(860年)、宇佐八幡宮から山城国男山の護国寺に八幡大菩薩を勧請し、石清水八幡宮を創建しました。
この流れの中で行教は十六の神社を伊予の地にも祀り、この中の一つが大山八幡大神社と伝えられています。
創建の起源②
もう一つの言い伝えでは、弘安5年(1282年)、後宇多天皇の時代に伊予国を治めていた国守・河野通有が筑前の宮崎八幡宮から二十八社を勧請し、その一社が大山八幡大神社であったとされています。河野通有は伊予の豪族であり、その勢力拡大と地域安定のため、八幡信仰を用いたと考えられています。
境内社と安産祈願
大山八幡大神社の境内には、安産祈願で広く知られる諏訪神社と得居神社が併せて祀られています。
諏訪神社は、安産の守護神として長い歴史の中で多くの信仰を集めてきました。妊婦やその家族が訪れ、新しい命の誕生を願い祈りを捧げる場として、地域の人々にとって大切な存在となっています。
一方、得居神社もまた同じく安産祈願の神として広く知られ、多くの参拝者がその御神徳を求めて訪れています
古来から続く風習「砂のお守り」
諏訪神社と得居神社は、それぞれ独自の祭神を祀り、母体の健康や胎児の無事を願う人々の祈りを受け止めてきました。大山八幡大神社には、この両社に関わる古来より受け継がれてきた特別な風習があります。
妊婦は、境内で砂を一握り持ち帰り、その砂をお守りとして出産の安全を願います。そして、無事に出産を迎えた際には、感謝の意を込めて持ち帰った砂の倍の量を神社に返納します。
この風習は、単なる祈願にとどまらず、母子の健康を神に託す祈りと、無事に生まれてきた命への感謝を形にしたものです。この伝統は地域社会に深く根付いており、今も多くの人々によって受け継がれています。