「飯成神社(いなりじんじゃ)」は、嵯峨天皇の詔勅に基づき、弘仁15年(824年)2月初午の日に創祀されたと伝えられています。この時、国司である伊予守宿禰為澄が山城国 (現:京都)稲荷山の伏見稲荷大社から伊予の地へ十社を勧請し、そのうちの一社としてこの地に祀られるようになりました。
その後、時代が移り変わり、明治時代になると、飯成神社と名称を改められました。これにより、地域の歴史や文化に深く根ざした神社として、新たな歩みを始めました。
稲荷と飯成
「稲荷(いなり)」と「飯成(いなり)」は、いずれも五穀豊穣を指しますが、その表記や由来には若干の違いがあります。
「稲荷」という言葉は、「稲が生る(なる)」という言葉に由来します。稲は日本の農耕文化において最も重要な作物であり、古代から生命の源とされてきました。「稲が生る」という表現には、稲が豊かに実ることで人々の生活が支えられるという願いが込められています。このため、稲荷神は農業の神様として、また五穀豊穣の象徴として広く信仰されてきました。
一方、「飯成」の「飯(めし)」は炊き上がったご飯を意味し、「成」は「成る」「実る」という意味を持っています。これにより、「飯成」は「飯が成る」、つまり食物が豊かに実り、それが人々の食事となるという一連の流れを象徴しているといえます。
この表現には、単に農作物の実りを祈る「稲荷」の意味だけでなく、それが食事として人々の命を支えるという意味が込められているのです。
祭神「宇加之御魂神」
飯成神社は、伏見稲荷大社と同様に「宇加之御魂神(うかのみたまのかみ)」を主祭神として祀る神社です。この神様は、稲作をはじめとする農業や食物の豊かさを守護する神として古くから深い信仰を集めています。
宇加之御魂神の記述は、『古事記』や『日本書紀』などの古典に登場します。『古事記』では「宇迦之御魂神」と記され、『日本書紀』では「倉稲魂命」と表現されており、どちらも農耕文化と結びついた神として描かれています。
また、これらの記録には性別についての明確な記述はないものの、古くから女神として信仰されています。
「宇加之御魂神」という名前には、「宇迦(うか)」が穀物や食物を、「御(み)」が神聖さを、「魂(たま)」が霊を表し、、「稲に神聖な霊が宿る」という意味が込められていると考えられています。
この神様は、稲が育ち、地域に食物が豊かに行き渡ることで人々の暮らしが豊かになるという考え方と深く関係しています。また、家族の安全や商売の繁盛を見守る神としても信仰されています。
「宇加之御魂神」は「お稲荷さん」として、日本全国のあらゆる場所で稲荷神社が作られ祀られており、現代でも私たちの生活に深く溶け込んでいます。
宇加之御魂神を祀る稲荷神社では、毎年、稲の豊作や地域の繁栄を祈願するお祭りが行われ、多くの参拝者が訪れます。飯成神社も同じく、稲作や地域の幸せを願う行事が盛大に行われ、宇加之御魂神の信仰が現在も続いています。