愛媛県今治市を流れる約16キロメートルの河川、「頓田川(とんだがわ)」。
全長約16kmの長さを誇るこの河川は、蒼社川(約19キロメートル)に次ぐ市内で二番目に大きな河川であり、古くから今治の農業と人々の暮らしを支えてきました。
今治の春を彩る、頓田川の桜
そんな頓田川ですが、春になるとその表情ががらりと変わります。
河川敷に植えられた約2,000本のソメイヨシノやヤエザクラが一斉に咲き誇り、川沿い約2キロにわたって、まるで桜のトンネルのような風景が広がります。
ふんわりと桃色に染まった景色は、まさに春そのもの。
あたりにはやわらかな光とやさしい風が流れ、多くの人がお花見に訪れて、頓田川は一気ににぎやかな空気に包まれます。
おでん、うどん、桜!今治市民のお花見
かつては、お花見の季節になると毎日1000人を超える花見客が集まり、川沿いは大賑わい。自治会が出していた売店では、おでんやうどんが特に人気で、長い列ができるほどでした。
湯気とともに漂ってくるだしの香りが、春の楽しみを一層引き立てていたのを覚えている方も多いのではないでしょうか?
今は見られない美しい夜桜
夜になると、地元の企業や飲食店の名前が記された提灯が灯り、美しい夜桜を楽しむことができていました。
これだけの絶景にあっても人はほとんどおらず、しっとりと幻想的な夜桜の中で、ゆったりと散策する人の姿が印象的でした。
桜の季節、今治らしいおおらかさ
駐車場は遠くに自治会が用意してくれていたものの、路上駐車をする人も多くみられましたが、あまりピリピリすることなく「まあ、桜の季節やけんね」といった今治らしいおおらかさがそこにはありました。
警察もその空気を汲み取ってか、そっと見守ってくれていたようです。
思い出の中に残る春の記憶
残念ながら、現在は売店も提灯も姿を消してしまいましたが、毎年美しい花を咲かせています。
あの頃の思い出を知る人にとっても、初めて訪れる人にとっても、頓田川の春はどこか懐かしく、やさしく心に残る風景となっています。
ひとりの思いが作り上げた!?頓田川の桜物語
さて、そんな頓田川の桜ですが、実はあるひとりの人物の強い思いと行動から始まったことをご存知でしょうか?
その人こそ、桜井地区に生まれ育ち、地域のために尽くし続けた「青野岩夫(あおのいわお)」さんです。
大正11年(1922年)、今治市桜井地区に生まれた岩夫さんは、地元への並々ならぬ愛情と情熱を持ち、長年にわたり地域づくりに深く関わってきました。
今治交通安全協会の理事、今治社会福祉協議会の役員、今治市土地改良区の副理長、桜井校区自治会長、そして前今治市連合自治会副会長など、多くの役職を歴任。
お祭りの際には自ら寄付を行うなど、地域の功労者として地元の人に一目も二目も置かれていました。
そんな岩夫さんが「この場所をもっと美しく、未来の世代にも誇れる場所にしたい」と願って始めたのが、頓田川の桜の植樹でした。
その数はやがて、両岸あわせて約1,700本にもなり、頓田川の風景を大きく塗り替える存在となっていきました。
桜を植え終えた後も、岩夫さんは頓田川の土手の草刈りや清掃、そして桜の手入れを、コツコツと、そして誠実に続けました。
その努力の積み重ねによって桜は見事に育ち、やがて2キロにもおよぶ壮大な桜並木が生まれたのです。
やがて、この美しい桜をひと目見ようと、地元の人たちはもちろん、愛媛県内はもとより、県外からも多くの人が訪れる桜の名所となりました。
そんな様子を見ながら、岩夫さんはある日、誇らしげにこう言ったそうです。
「ほら、わしの言うた通りになったやろ」
そのひと言には、地域への深い愛情と、長年の努力が報われた喜びが、やさしくにじんでいたのでしょう。
頓田川を見守る岩夫さんの石碑
このような岩夫さんの偉業を讃えるため、地元では「青野岩夫顕彰碑建立委員会」が結成され、平成17年3月の吉日、頓田川の桜並木のそばに「頌徳碑(しょうとくひ)」が建てられました。
その石碑は今も変わらずそこに佇み、春になると桜の花びらにやさしく包まれながら、静かに、そして誇らしげに、この風景を見守っているかのようです。
「ここの桜を撮りたい!」一眼レフを手にした理由
実を言うと、私が一眼レフカメラを買ったきっかけも、頓田川の桜でした。
子供の頃から当たり前にあったこの美しい桜を、もっと綺麗に撮影したかったんです。
風に揺れる花びらの一瞬を切り取る瞬間、夕陽に透ける花の色や夜の幻想的な風景。レンズ越しに見る桜はまた少し違って見えて、毎年、春が来るのが楽しみになっていました。
変わりゆく今治の春……頓田川の桜の終わり
しかし、そんな桜にも少しずつ変化が訪れています。
ソメイヨシノは、実は自然の中で勝手に増えていく木ではなく、すべて人の手による接木(接ぎ木)によって増やされてきた、いわば「人と共に生きてきた桜」なのです。
接木とは、異なる品種の植物をつなげて一つの木にする技術で、これによって同じ特徴を持った桜を増やすことができます。この方法で育てられたソメイヨシノは、遺伝的に同じ特徴を持ち、その美しい花が特徴となります。
ソメイヨシノの寿命は、一般的に60年から100年程度と言われており、他の桜に比べると比較的短命です。この寿命の短さに加え、近年の気候変動や異常気象の影響も重なり、桜の木は傷んだり、病気にかかりやすくなっています。
頓田川沿いの桜たちもその影響を受けており、倒木などの危険性を避けるために、伐採される姿も少しずつ見かけるようになりました。
「ここには昔、美しい桜が咲いていたんだよ」
岩夫さんが私たちに残してくれたこの桜並木は、ただの景色ではなく、地域への深い愛と未来への願いが込められた宝物です。
しかし、桜の寿命や気候変動の影響は避けることができず、近い将来、「ここには昔、美しい桜並木があったんだよ」と語り継がれる日が来るかもしれません。
私たちは、この桜並木の価値をしっかりと認識し、その大切さを次の世代に伝えていく責任があると強く感じています。それは岩夫さんが示してくれた「地元を愛する心」という価値にも繋がっていると思います。
しかし、残念ながらゴミのポイ捨てをする人が後を絶たないのも現実です。それは頓田川だけでなく、私たちの周りでも同様に、人々の気持ちを踏みにじる行為があちこちで行われています。
この場所が、どれほど多くの人々の思いや努力で成り立ってきたのか、そしてどれほど多くの心が込められているのかを知ることが、私たちの未来を守るための第一歩だと思い、今回の記事を書きました。
頓田川の桜を見る時、その美しさを感じるとともに、少しでもその背後にある歴史や心を思い出し、大切にしていきたいという気持ちを抱いてほしいと願っています。