「実法寺(じっぽうじ)」は、1640年頃に円光寺の第4世住職である凸嶺秀八大和尚によって開山され、以来、曹洞宗の寺院として今日まで続いています。この寺院は、長い歴史の中で、地域の信仰を支え、深い結びつきを保ちながら、その伝統を守り続けてきました。
大正11年(1922年)には本堂が再建され、大正13年(1924年)には庫裡も再建されました。これにより、実法寺は物理的にも精神的にも地域の信仰の拠点として機能し続けました。
昭和8年(1933年)には豊川稲荷が建立され、昭和55年(1980年)には水子地蔵堂が建立されるなど、代々の住職や信徒による守護のもと、寺院の施設も拡充されてきました。
継ぎ獅子の創始者が眠る
実法寺は、継ぎ獅子発祥の場所である三嶋神社のすぐ側にあり、境内には継ぎ獅子の創始者である高山重吉氏のお墓があります。
高山重吉氏は、弘化元年(1844年)に今治市の鳥生村で生まれました。重吉氏の人生は、地域の文化を豊かにするための努力に捧げられました。明治初期、村民の要望に応える形で高山氏は上方に赴き、獅子舞の技術を習得しました。重吉氏はその後、鳥生村に戻り、獅子舞の技術を村民に伝授しました。
重吉氏が生み出した「鳥生獅子」は、勇壮な太鼓と共に力強い舞を特徴とし、村の重要な文化行事として定着しました。高山氏の情熱と指導により、鳥生獅子は地域の誇りとなり、愛媛県指定無形民俗文化財にも指定されるまでになりました。
今治市を訪れる際には、實法寺を訪れ、継ぎ獅子の歴史に思いを寄せてみてください。