愛媛県今治市菊間町にある「遍照院(へんじょういん)」は、別名「厄除大師(やくよけたいし)」として地元だけでなく、県内外からも多くの人々が訪れる歴史ある寺院です。遍照院は四国八十八箇所番外札所および新四国曼荼羅霊場第42番札所としても知られています。
寺の創建は平安時代初期の弘仁6年(815年)にまでさかのぼります。四国を巡り教えを広めていた真言宗の開祖、弘法大師(空海)がこの地を訪れた際、聖観音を刻み、それを本尊として寺院を建立しました。また、自らの像(厄除弘法大師)を本願として安置しました。このことから、厄除けの秘法が伝えられ、人々はこの地を訪れるようになりました
それから遍照院は多くの名僧によって受け継がれ、寺門は信仰の場所として栄えていきました。しかし、歴史の中で二度の火災に見舞われ衰退することになります。
明応年間(1492年~1501年)には、高仙山城主・得居通敦が田畑を寄進し、寺運が一時的に隆盛を極めましたが、その後の火災で焼失しました。再建されたものの、天正16年(1588年)には長宗我部元親の兵火で再び焼失し、全ての堂宇が失われてしまいました。
この時、奇跡的に厄除大師像だけが残り、この神秘の出来事を目の当たりにした人々によって信仰はさらに深まることになり、その力で寺院は再興されていきます。天保3年、瑞暎によって現在の場所に移され、堂宇が整備されました。明治16年には本堂と山門が建築され、江戸時代には松山藩主の特別祈願所ともなりました。山主は年に三度城中に参殿し、御守護符を献納するなど、多くの信仰を集めました。
海を通過している帆船は帆を下げ、門前を往来する人々は被り物を脱いで礼拝するなど、信仰の中心地となりました。
こうして今日も、遍照院は多くの人々が訪れる祈りの場として、その歴史と信仰をつないでいます。
ぜひ遍照院を訪れ、その歴史と信仰の深さに触れてみてください。