玉川の静かな山間に佇む「浄土寺(じょうどじ)」は、愛媛県今治市に位置し、歴史ある寺院として訪れる人々を迎え入れています。その歴史は建長元年(1249年)、法印念西上人によって開かれ、浄土宗の阿弥陀院としての道を歩み始めました。開山時、念西上人は自ら阿弥陀如来を彫刻し安置し、寺を「妙高山阿弥陀院浄土寺」と名付けました。
鷹ヶ森城主・越智駿河守との関わり
浄土寺は、後に中通鷹ヶ森城の城主である越智駿河守通能の篤い尊信を受け、駿河守の祈願所としての役割を担うようになりました。越智氏は古代から中世にかけて越智郡を治め、大山祇神社の祭神である小千命(おちのみこと)を祖とする名門の氏族です。越智駿河守もこの系譜を引き継ぐ有力な武将であり、彼の尽力により浄土寺は堂塔伽藍の整備が進みました。
しかし、1585年の豊臣秀吉による四国征伐では、鷹ヶ森城は小早川隆景の軍勢に攻められ、越智駿河守は城内で自刃しました。現在、鷹ヶ森城跡には越智駿河守を偲ぶ石碑が建てられ、また、自刃した場所には観音堂と越智駿河守の墓が祀られています。
再建と現代の浄土寺
浄土寺はその後も幾度かの試練を乗り越えます。享保9年(1724年)の大火により堂宇が全焼しましたが、徳貞上人の尽力により享保13年(1728年)に庫裡や客殿が再建されました。さらに、文政元年(1818年)には今治城第7代城主である松平壱岐守の大願主によって現在の本堂が再建され、今日までその姿を残しています。
浄土寺の境内では、歴史を感じさせる静けさの中、かつての武将たちが祈願した空気を感じることができます。豊かな自然に囲まれたこの場所は、地元住民のみならず、訪れる観光客にも心の安らぎを与えるでしょう。