「常高寺(じょうこうじ)」は、豊臣秀吉と深い縁を持つ加藤常髙(かとうつねたか)によって創建された寺院です。
加藤常髙は、河野姓浅海四郎能長の遠孫で、若い頃に豊臣秀吉、秀頼父子に仕えていた勇猛な武士でした。しかし、関ヶ原の戦いや大阪の陣などの度重なる合戦を経て、世の無情を痛感した常髙は、武士の身分を捨てて出家し、了空法師と名乗り、浄土真宗の教えに従うようになりました。
今治での常髙寺の創建
常高は生涯を通じて県内外を巡り、芸州(現在の広島県)の竹原市の御手洗をはじめ、瀬戸内海沿岸の多くの地域を訪れました。御手洗は江戸時代に港町として栄え、商人や船乗りが集まる場所でした。
また、大浜や立花など、海運や漁業が盛んな地域でも活動は続けられました。瀬戸内海に浮かぶ豊島久比では、地域住民に仏教の教義を説き、地域社会の安定と住民の心の平穏に寄与しました。
これらの地域は、海に囲まれた環境の中で、自然への畏敬の念や信仰が強く根付いており、常高の教えはその後も長く受け継がれ、地域の精神的な柱となりました。
その後、慶長年間(1596〜1614年)に今治にたどり着き、石井の地に草庵を構えていました。当時、親友であった藤堂高虎が今治城の築城のためにこの地に来ており、その縁で慶長8年(1603年)に藤堂高虎の庇護を受けることになりました。藤堂高虎の支援により、常高は今治市風早町四丁目に壮大な本堂を建立し、寺の名を「常髙寺」としました。
本尊は、豊臣秀吉が守本尊として崇めていた阿弥陀如来です。この阿弥陀如来像は聖徳太子の作と伝えられ、優れた芸術的価値を持つ仏像として知られています。この寺は創建以来350年以上の歴史を持ち、時折修繕や改築が行われてきましたが、第二次世界大戦の際、周辺の建物が焼失したにもかかわらず、常髙寺の本堂は戦火を免れ、御本尊のおかげで保たれたと言われています。
常髙寺の現代的な魅力
常髙寺は歴史だけでなく、現代アートとの融合によっても注目されています。住職の加藤大地さんは、通称「バルーン住職」として知られており、バルーンアートを用いて仏教の教えを表現しています。大地さんの作品は、浄土真宗の本尊である阿弥陀如来をバルーンで再現するなど、細部までこだわりを持って制作されています。加藤住職は、地域のイベントやワークショップでその技術を披露し、仏教の魅力を多くの人々に伝えています。
境内の施設と新たな門徒会館
常髙寺の境内には、本堂、経蔵、そして門徒会館があり、参拝者を迎え入れています。門徒会館は、令和4年9月に新たに完成し、法事や集会など多様な用途で利用されています。この施設は、寺院と地域の結びつきをさらに強化し、訪れる人々にとっても心地よい交流の場となっています。
常髙寺を訪れると、仏教キャラクターの「きくぞう君」が正面で出迎えてくれます。温かい雰囲気の中で、阿弥陀如来像が安置された本堂に足を運び、静かな時間を過ごすことができます。
歴史と現代のアートが融合したユニークな寺院「常髙寺」をぜひ訪れて、その魅力を体感してください。