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古くから信仰を集めてきた神社の由緒と、その土地に根付いた文化を紹介。

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権現社・長者森(今治市・菊間地区)

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石鎚信仰を映す信仰の山

愛媛県今治市菊間町中川にそびえる長者森(長者山)は、標高約297メートルの小高い山ながら、古くから地域の人々にとって特別な霊域として崇められてきました。

山頂には、かつて長者ヶ森城と呼ばれる山城が築かれていたと伝えられ、今も二つの曲輪跡が確認できます。

曲輪(くるわ)とは山城の防御施設として整備された平場で、物見櫓や城主の館、兵糧庫などが置かれていたと考えられます。

こうした遺構が残ることは、長者森が単なる里山ではなく、地域の要衝であったことを示しています。

祈りの山となった森

そして、この山は城郭としての役割を終えた後も、地域の人々の心から忘れ去られることはありませんでした。

山頂には石鎚大権現を祀る権現社が置かれ、やがて村人たちから親しみを込めて「権現さん」と呼ばれるようになったのです。

田植えや収穫の時期には山に向かって手を合わせ、干ばつのときには雨を乞い、家族の無事や村の繁栄を祈る。

そんな祈りの風景が、長者森を中心に繰り返されてきました。

かつては戦の舞台であった長者森は祈りの場へと姿を変え、村人たちの暮らしに寄り添い続ける精神的な支えとなっていったのです。

権現社と石鎚信仰

長者森の山頂に祀られていた権現社は、江戸時代中期にはすでに地域信仰の中心として整備されていました。

『天明寺社根本帳』には「付属堂庵 長者石鉄山 石鎚大権現 石之宮 安永元年建築」と記されており、1772年の江戸中期には社殿が整備されていたことが確認できます。

この記録から、長者森は当時すでに「長者石鉄山」と称され、石鎚山の霊威を宿す山として崇められていたと考えられます。

また、権現社は「石之宮(いしのみや)」とも呼ばれ、村人たちが石鎚山そのものの神霊を里近くで拝むための「里宮」として機能してたとみられます。

遠く石鎚山へ登拝できない村人にとって、ここで祈りを捧げることは山上参拝と同じ功徳を得るための大切な信仰行為だったのでしょう。

霊峰・石鎚山と四国の山岳信仰

四国の山岳信仰を語る上で欠かせないのが、標高1,982メートルの霊峰・石鎚山です。

西日本最高峰である石鎚山は、古来より「西日本の御岳」と称され、蔵王権現(ざおうごんげん)を本地仏とする石鎚大権現(いしづちだいごんげんが祀られてきました。

石鎚大権現は修験道の守護神であり、厳しい修行を行う行者たちに力を授け、災厄を祓う存在とされました。

石鎚山では今もなお鎖場を登る登拝行が行われています。

これは単なる登山ではなく、命がけで山の頂を目指し、心身を清め、神仏と一体になるための宗教儀礼です。

石鎚山の信仰は江戸時代には庶民の間にも広まり、金毘羅信仰と並ぶ二大信仰として親しまれました。

石鎚権現と四大権現

近見地区の石中寺(いしなかでら)に伝わる伝承によれば、大宝元年(701年)、修験道の開祖・役行者(役小角)が伊予の地を訪れたといいます。

当時、石中寺は清水地区に建立されており、その境内には修行と祈祷の場として「不動院」と呼ばれる別院が併設されていました。

役行者はこの不動院に立ち寄り、孔雀明王・不動明王・愛染明王の三尊に祈りを捧げ、自らの修行の成就と人々の救済を願ったと伝えられています。

すると天空に五色の雲が立ちこめ、神々しい光の中から楢原・石土・豊岡・象頭の四大権現が姿を現しました。

  • 楢原権現 … 今治市玉川町楢原山の霊神で、牛馬安全や雨乞い、農耕守護の神として信仰された。
  • 石土権現 … 石鎚山そのものを神格化した霊神で、堅固不壊の力を象徴し、修行者を守護する存在。
  • 豊岡権現 … 伊予郡の豊峰権現山に祀られる霊神で、五穀豊穣や水の恵みを司る守護神。
  • 象頭権現 … 香川県琴平町の象頭山に宿る霊神で、山野の守護や海上安全を司り、金毘羅信仰とも結びついた。

役行者はこれを神意と受け止め、石中寺の僧とともに東の険しい山々を巡って霊域を探し求めました。

やがて石鎚山の瓶ヶ森において尊い霊感を授かり、この地こそが蔵王権現を祀るにふさわしい聖地であると確信しました。

そこで役行者は石鎚蔵王権現を祀り、以後石鎚山は修験道の霊峰として全国に知られるようになりました。

今日もなお、石鎚蔵王権現は西日本随一の霊神として信仰され、石鎚山登拝は修験道の伝統を伝える重要な行として続けられています。

江戸時代と石鎚信仰の広がり

江戸時代に入ると、石鎚山登拝は庶民にも広く開放され、各地に「石鎚講」や「お山講」と呼ばれる講中組織が作られました。

講員は年ごとに順番で登拝し、護符や御神酒を持ち帰って村人に分け与え、村全体が霊験を受けられる仕組みを作りました。こうして石鎚信仰は村の年中行事として定着し、共同体の結束を深める役割も果たしました。

この信仰の普及に大きな役割を果たしたのが、石鎚山麓の前神寺です。

前神寺は講中の組織化と普及に尽力し、石鎚信仰を四国各地に広めました。

また、前神寺が四国霊場第64番札所であったため、ここに参拝した高野聖や四国遍路が、さらに石鎚信仰を各地へと伝えていきました。

しかし、すべての村人が遠く石鎚山に登れるわけではありませんでした。

そこで各地に「里宮(さとみや)」と呼ばれる遥拝所が設けられ、村人は山に登る代わりにこの地で祈りを捧げました。

長者森の山頂に祀られた権現社は、まさにこの里宮の役割を果たしていたと考えられます。

真福寺と権現社の関係

長者森山頂の権現社は、単なる祈りの場ではなく、地域の宗教行事の中心でもありました。その管理と祭祀を担ったのが、麓に位置する真福寺(しんぷくじ)です。

『天明寺社根本帳』には、この権現社が真福寺の付属堂庵として記されており、真福寺が山頂の社殿を含む一帯の信仰生活を統括していたことがわかります。

真福寺は別当寺として社殿の維持管理を行い、春秋の祭礼や祈祷を執り行いました。

別当寺とは神社に付属して祭祀を取り仕切る寺院のことで、神仏習合の時代には神社と寺院が一体となって地域の信仰を担っていました。

こうした行事は、五穀豊穣・家内安全・無病息災を祈る場として、村人たちの生活と密接に結びつき、地域共同体の絆を強める重要な役割を果たしました。

さらに、真福寺は権現社の祭祀にとどまらず、葬儀や先祖供養、年中行事などを通じて村人の暮らしと精神文化を支え続けてきました。

長者森と真福寺は、山と寺が一体となった地域信仰の象徴であり、村の精神的支柱として存在してきたのです。

現在の様子と継承

現在は、社殿こそ往時の姿を失いましたが、山頂には小さな祠や石段の痕跡が残され、地元の人々によって大切に守られています。

春や秋の節目にはお参りする人の姿も見られ、長者森は今なお静かに祈りの場として息づいています。

真福寺も無住寺院となった現在、檀家や地域の人々が協力して境内や墓地を整え、年忌法要や彼岸の供養を続けています。

これらの営みは、単なる文化財の維持ではなく、先祖への感謝と地域の絆を確認する大切な儀式として受け継がれています。

長者森と真福寺は、地域の歴史・文化・信仰が交わる象徴的な存在であり、人々の暮らしと心を見守る存在であり続けています。

この地に息づく信仰の物語は、世代を越えて語り継がれ、未来の村人たちにも大切に引き継がれていくことでしょう。

神社名

権現社・長者森(ごんげんしゃ)

所在地

愛媛県今治市菊間町中川

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