「宝寿寺(ほうじゅじ)」は、元禄八年(1695年)に創建された由緒ある寺院です。寺院は、当初蒼社川沿いの新たに開墾した田に堂宇を構え、地域の信仰の中心として繁栄していました。豊かな農地に囲まれたこの場所は、地域住民にとって精神的な支えとなる存在でした。
蒼社川の氾濫と災害の頻発
しかし、宝寿寺が建てられたこの場所は、度重なる災害に見舞われる地でもありました。その災害とは、蒼社川の氾濫です。
当時の蒼社川は、現在のように整備された直線的な流れではなく、玉川町から日高の片山、馬越を経て浅川方面へと大きく蛇行しながら海に注いでいました。この川の蛇行により、川幅が広くなり、川床が浅くなる箇所が多く存在していました。これらの地形的条件が重なり、蒼社川は頻繁に氾濫を引き起こしていたのです。特に、梅雨や台風の時期には急激に水位が上昇し、堤防が破壊されやすい状態が続きました。
このため、宝寿寺が位置していた地域もまた、氾濫の度に大きな被害を受けることとなりました。寺院の堂宇は川の激流により流失し、地域の信仰の拠り所が一時的に消失してしまったのです。この災害は、宝寿寺の存続を危うくし、僧侶たちや地域住民にとって大きな試練となりました。
移転と再建
明和六年(1769年)、宝寿寺は現在の清水区に移転し、諸堂や山門が新たに建立されました。これによって、宝寿寺は地域の信仰の中心として再びその役割を果たすようになりました。
明治時代には日曜学校が開かれ、教育の場としても地域に大きく貢献してきました。お堂には日曜学校で使用された着類が大切に保存されており、窓には子どもたちが書いた習字が飾られていました。
境内には、浄土真宗を開いた親鸞聖人の像が安置されており、毎年1月16日には親鸞聖人の命日法要、5月21日には誕生法要が行われるなど、年に8回の法要が厳かに執り行われています。宝寿寺は、信仰の場としても地域とのつながりを大切に守り続けています。