「三嶋神社・東村(みしまじんじゃ)」は、崇峻天皇(すしゅんてんのう)が即位して2年目にあたる西暦588年に創建されたと伝えられています。
この時代は、豪族が力を持ち、巨大な古墳を築いていた古墳時代の終わりにあたり、日本ではまだ律令制度や仏教が広まる前でした。自然や祖先を神として信仰することが中心の時代です。
「三嶋神社」の創建には、地方豪族であった越智直益躬(おちのあたい ますみ)が関わっています。
越智直益躬(おちのあたい ますみ)は、北東アジアに住んでいた靺鞨(まっかつ)の侵略者を撃退し、勝利を収めました。靺鞨は当時、現在の中国東北部やロシア極東地方「沿海州(えんかいしゅう)」に住む強力な戦士たちで、その強さは日本に届くほどでしたが、益躬はこれを見事に退けたのです。
益躬はこの勝利を記念して、小千郡木下の浜(現在の鳥生の浜)で榊の木の枝に鏡を掛け、大山積大神(天照大神の兄神)を祀り始めました。これが、今治市立花地区の「三嶋神社」を創建になります
「三嶋神社・東村」も同年に大山積大神を勧請し創設されたと伝わっており、深い関係があると考えられます。
東村の三嶋神社の創建
和銅五年(712年)には、大山祇神社から高龍神(たかつりのかみ)と大雷神(おおいかずちのかみ)が勧請され、神格がさらに高めまり、地域の人々からの信仰が一層深まりました。
そして今日に至るまで、三嶋神社は地域の人々にとって大切な場所であり続けています。農業や漁業の神として崇拝され、毎年行われるお祭りや行事を通じて、地域の繁栄や家族の健康を祈る場所となっています。また、地元の人々にとって信仰の中心であり、家族の安寧や成功を願うために多くの人々が参拝し続けています。