「円浄寺(えんじょうじ)」は、文禄3年(1594年)に那園浄信居士と土岐九良左工門政経(ときくろさえもんまさつね)の二人によって建立が計画されました。同年5月、称阿貞関和尚が初代住職に就任し、現在の大西町にあたる野間郡新原村で正式に開かれました。寺はその後、慶長7年(1602年)に現在の場所へと移転し、今日に至るまで地域の信仰の拠点として親しまれています。
名僧・学信と土岐氏の歴史が息づく
学信は、享保7年(1722年)に今治で生まれ、幼少期に円浄寺の真誉上人のもとで修行しました。学信は非常に高い道心を持ち、若くして断食や指灯供養などの厳しい修行を行い、20歳で増上寺に入り宗戒を受けましたが、名利や地位には興味を持たず、西日本各地を巡って仏教を広めました。
学信は、京都や宮島をはじめ、さまざまな寺で教えを広め、厳格な僧侶教育に力を注ぎました。また、天明の大飢饉では、宮島で飢えた人々を救済するために尽力しています。著作には『蓮門興学篇』や『幻雲集』があり、教団の衰退や僧侶の風紀を立て直すために教育の改革を訴えました。