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櫻元塚明神(今治市・富田地区)

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蘇る桜と願いを叶える神様

頓田川の下流、上徳に広がる田園風景の中に、「櫻元塚明神(さくらもとつかみょうじん)」と呼ばれる小さなお社があります。

この社には、一本の桜とその根元にある塚にまつわる不思議な伝説が息づいており、今もなお地域の人々の信仰と祈りの場として、大切に守り継がれています。

櫻元塚“明神”

「櫻元塚明神(さくらもとづかみょうじん)」に冠された「明神(みょうじん)」とは、神道において神様に対する敬称や尊称の一つで、特に重要で尊敬される神様に対して使われる言葉です。

文字どおり「明らかに顕れた神」「卓越した神」という意味をもち、古代から中世にかけて全国各地の社に広まりました。

この「明神」という呼び方は、朝廷による公式な神号として与えられる場合もあれば、地域の人々の篤い信仰心から自然に定着する場合もありました。

山や水、あるいは土地の守護と深く結びついた神が「○○明神」と称される例は各地に残っています。

一方で、「神社」とは神を祀るための社殿や境内を指し、人々が神と交わり祈りを捧げるための場を意味します。

すなわち、「明神」は神そのものへの敬称であり、「神社」はその神を祀る施設を指す言葉です。

両者は密接に結びつきながらも、本来は異なる性格をもった言葉であるといえます。

「明神」という言葉が広まった背景

日本には古くから、山や川、風、木々などの自然に神が宿るとする神道の信仰が根づいていました。

こうした自然信仰は、人々の暮らしと密接に結びつき、地域ごとにさまざまな神が祀られていました。

しかし、6世紀に仏教が朝鮮半島を経て日本に伝来すると、神道と仏教という二つの宗教が交わり、やがて一体となって信仰されるようになります。

この現象を「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」と呼びます。

神仏習合の中で生まれた「明神」

神仏習合が進んだ奈良時代から平安時代にかけて、仏教が国家の保護のもとで広まりを見せるなか、神道の神々は仏教の教えに従う存在とみなされるようになりました。

たとえば、神は仏がこの世に姿を変えて現れた「権現(ごんげん)」であるとされ、両者が矛盾しないように共存する工夫がなされていきました。

このような中で、神々に対する尊称として「明神(みょうじん)」という言葉が使われるようになります。

「明神」とは、字の通り「明らかで輝かしい神」「霊験あらたかな神」を意味し、特に仏教と結びついて尊ばれた神々に多く用いられました。

「明神」に込められた想い

たとえば、稲荷神社に祀られている稲荷神は「稲荷明神」と呼ばれることがあり、これはその神様が地域社会において特に深い信仰と敬意を集めてきた存在であることを表しています。

同じ神様でも、地域や時代によって「明神」や「大明神」と呼ばれることがありましたが、その呼び方には明確な基準はなく、信仰の深さや神様の性格に応じて使い分けられていました。

また、神社に祀られている神様に「明神」の称号が付けられることもあり、これはその神様が特に尊敬され、大切にされていることを示すものでもあります。

「櫻元塚明神」という名も、こうした文脈の中で、地域の人々が特別な敬意を込めて名づけたものと考えられます。

櫻元塚明神と彼岸桜の伝説

櫻元塚明神の象徴ともいえるのが、田園地帯の中に堂々とそびえる一本の彼岸桜(ひがんざくら)です。

田んぼの真ん中に静かに立つその姿は、まるで周囲の風景を見守るような威厳を湛え、遠くからでもひと目でわかる存在感を放っています。

春が訪れると、この彼岸桜は淡紅色の花を咲かせ、社の周囲に清らかな雰囲気をもたらします。

その美しさは単なる自然の景観にとどまらず、桜の木そのものが神聖な存在として地域の人々に大切にされてきたことを感じさせます。

そしてこの桜には、古くから数々の言い伝えや不思議な伝説が残されており、神社の創建にも深く関わる“神秘の木”として語り継がれてきました。

彼岸桜の下に眠る武将

彼岸桜をよく見ると、その根元には石畳が広がっています。

このことから、「南北朝時代(1336〜1392年)に活躍した名のある武将の墓ではないか」という言い伝えが語り継がれてきました。

その武将の名は文献には残されていないものの、村人たちは「名のある人」としてその存在を尊び、神様を祀るお社であるにもかかわらず、線香があげて静かに手を合わせてきました。

これは、通常の神社ではまず見られない特別な風習です。

「櫻元塚明神」の名前の由来

「櫻元塚明神(さくらもとつかみょうじん)」という社名は、まさにこの桜(櫻)の根元にある「塚(お墓)」を意味し、そこに眠る御霊を神として敬い、祀ったことに由来すると考えられています。

櫻元塚明神の創建と「蘇った桜」の伝説

櫻元塚明神の創建にも、桜にまつわる不思議な伝説が語り継がれています。

ある年、この地域を激しい台風が襲い、田園の中にそびえていた彼岸桜が、強風によって根元から折れ、畦道をふさぐように倒れてしまいました。

倒れた桜は通行の妨げとなっていましたが、村人たちは誰ひとりとして手をつけようとはしませんでした。

それには理由がありました。

この桜には古くから、「牛や馬を繋げば祟りがある」「枝を折ればバチが当たる」といった言い伝えが残っており、村人たちは“神聖な力が宿る木”として長年にわたり慎重に扱ってきたのです。

しかし、一人の老人だけはこうした言い伝えを一蹴し、「今時分にそんな迷信めいたことがあるものか」とノコギリを手に桜を伐りに向かいます。

ところがその老人が桜のもとに到着すると、信じがたい光景が広がっていました。

つい先ほどまで地に伏していたはずの桜が、まるで何事もなかったかのように元の姿に戻り、空に向かって枝を広げていたのです。

その不思議な出来事に驚いた老人はすぐさま村人たちに報告し、村には静かな衝撃とともに、桜の神秘に対する畏敬の念が広がっていきました。

「やはりこの木の根元には目に見えぬ力が宿っている」

そう確信した人々は、倒れてなお蘇った桜を神の御業とみなして、木の根元に小さな社を建て、「櫻元塚明神(さくらもとつかみょうじん)」として祀るようになりました。

櫻元塚明神の信仰と風習

この神秘的な伝承をから始まった櫻元塚明神は、次第に「ご利益がある」「一つだけ願いを叶えてくれる」として広く知られるようになりました。

現在では、「家内安全」「交通安全」「商売繁盛」「入学試験の合格」「選挙の当選祈願」など、多種多様な願いをもった人々がこの小さな社を訪れています。

封筒に込めた願い

櫻元塚明神では少し珍しい参拝の風習が受け継がれています。

参拝者は、自分の願いを書いた紙を封筒に入れ、それを境内に設置されたボードに貼り付けるという独特の方法で祈願を行います。

封筒の中身は他人には見えず、あくまで神様だけに届けるという形をとることで、より純粋で個人的な祈りが込められるのです。

この風習は、願いを「神様にだけそっと打ち明ける」静かな信仰の形として、長年にわたり守られてきました。

お酒を愛する神様と参拝

櫻元塚明神に祀られている神様は、「お酒が好きな神様」としても知られています。

参拝者の中には、日本酒を丁寧にお供えする人も多く、地元の銘酒がそっと社の前に置かれていることも珍しくありません。

また、午前中に参拝すると特にご利益があるとされています。

早朝の静かな時間に神社を訪れ、祈りを捧げることで、神様からのご加護がより強く得られると信じられており、この風習は今でも多くの参拝者によって大切に守られています。

神社名

櫻元塚明神(さくらもとつかみょうじん)

所在地

愛媛県今治市上徳甲185-3

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