波止方に鎮座する「龍神社(りゅうじんじゃ)」は、江戸時代の天和年間(1681年~1684年)に創設された、地域の繁栄を願う神社です。この創設には、塩田築造の功労者である長谷部九兵衛と、郡奉行で代官の園田藤太夫の強い思いから始まります。
江戸時代において、塩は生活の必需品であり、その製造は地域の経済発展にとって極めて重要なものでした。郡奉行であった園田藤太夫成連は、塩田を築くことで地元に繁栄をもたらすことを目指し、土地の開発に取り組んでいました。
この塩田プロジェクトの成功を祈願し、日頃から信仰していた水と土地を守護する神々「八大籠神」を、近江国勢田郷から勧請して龍神社の鎮守神として祀り始めました。
そして、天和3年(1683年)には、現在の波止浜港を見下ろす小高い丘の上に新たな社殿が完成し、神体が遷宮されました。これが龍神社の始まりです。この龍神社は、塩田の成功と地域の繁栄を祈る場所として重要視され、その後も地域の守護神としての役割を果たし続けています。
龍神社は、その後も地域の繁栄を守り続ける重要な信仰の場として存在し続け、昭和15年11月には郷社に昇格しました。郷社とは、地元の神社の中でも特に地域に根付いた信仰が厚く、重要な役割を果たす神社に与えられる地位です。郷社に昇格することで、龍神社は地域における信仰の中心としての地位が強化され、地域社会にとって欠かせない存在となりました。
龍神社自体は、日本全国の様々な場所に建立されており、そこに祀られている龍神は、地球を守護し、天地を自在に動き回って「流れ」を生み出す超越的な存在とされています。龍神は、気象や海流を司り、自然界の調和を保つ役割を果たす神として崇められています。
龍神信仰は元々は古代中国から伝来したもので、日本でも広く受け入れられました。龍は中国では権力の象徴とされ、日本においては自然崇拝と伝統的な神道が結びついた形で信仰されるようになりました。
特に水の神として、海や川、湖などの水辺に関連づけられており、地域の水源確保や農業・漁業の繁栄を願う神として重要視されています。ここ瀬戸内海に面した海事都市である今治市にも多くの龍神社があり、その中の一つが波止浜の龍神社です。
波止浜の龍神社は1718年に再び再建され、本殿は約50本のウバメガシ古木に囲まれ、白い大鳥居の背後に広がる美しいウバメガシの樹林は今治市の天然記念物に指定されています。境内には県内では珍しい石造アーチ橋の神明橋も移築保存されています。
神社からは波止浜港を見下ろすことができ、歴史と自然が調和した静かな環境にあります。そして、近くには潮水の清めを受けるために海中の鳥居が建てられており、毎月1日と15日には龍神の使いであるサメが参拝すると伝えられています。
毎年1月には「ヒッチャコチャン」という伝統的な祭りが行われ、5月3日の祭礼では波止浜獅子連中による継ぎ獅子が披露されるなど、地元の人たちの歴史文化の中心地でもあります。
文化面だけではなく、波止浜港の美しい景色が楽しめ、特に夕暮れ時にはなんともいえないノスタルジーな雰囲気を感じることができます。