「厳島神社・中寺弁天泉公園(いつくしまじんじゃ)」は名前の通り、中寺の弁天泉公園に鎮座する厳島神社で、その名の通り、ここには水の神である弁天さまが祀られています。
弁天さまについて
「弁天さま」はもともと「弁才天(べんざいてん)」と表記されていましたが、時代が進むにつれ「弁天さま」と略して呼ばれることが多くなり、また「弁財天」と表記されることも増えてきました。この変化は、日本で弁天さまが財運や幸福をもたらす神として崇敬されるようになったことと関係しています。「才」よりも「財」が重視され、商売繁盛や富の象徴としての側面が強調されたためです。
「弁才天」の起源は、古代インドの女神サラスヴァティーにさかのぼります。サラスヴァティーはインダス川を守る神様で、インド神話では水や豊かさ、学問、芸術を司る存在として広く信仰されていました。特に農業を営む人々にとっては、恵みの水をもたらしてくれる大切な守護神でした。
「サラスヴァティー」という名前は、サンスクリット語で「流れるもの」を意味し、川や湖などの水辺の神様として崇められていました。水が命や豊かさを育むという信仰から、サラスヴァティーへの崇敬は深まり、さらに学問や芸術を守る神様としても広く尊ばれるようになったのです。
仏教がインドから中国、そして日本へと伝わる中で、サラスヴァティーは仏教に取り入れられ、日本では「弁才天(弁財天)」として信仰されるようになりました。
特に有名なのが「三弁天」として知られる江ノ島(神奈川県)、竹生島(滋賀県)、厳島(広島県)の三社です。これらの神社はすべて水辺にあり、弁才天が水の神として信仰されていることを象徴しています。
「弁才天」=「市杵島姫命」
弁才天は、日本神話に登場する女神「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」と同一視されています。
市杵島姫命は、日本神話に登場する宗像三女神(むなかたさんじょしん)の一柱です。宗像三女神は、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命の三柱で構成されており、いずれも海や水を守る神々として信仰されてきました。
市杵島姫命は、特に水域や船旅の安全を守る神として崇敬されてきました。日本において、古代から海上交通や漁業が重要な役割を果たしてきたため、航海や漁業の安全を守護する市杵島姫命は、地域社会にとって欠かせない存在でした。
弁才天と市杵島姫命は同じように水に関連する神であることから、インドのサラスヴァティーが日本に伝わった後、弁才天として崇拝される中で、日本神話の水の守護神である市杵島姫命と結びつき、現在では同一の存在とされるようになりました。
厳島神社の主祭神「市杵島姫命」
広島県にある「厳島神社」は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神として祀る代表的な神社の一つです。厳島神社は、海に浮かぶように建てられた美しい社殿が特徴で、世界的に有名であり、1996年にはユネスコの世界遺産に登録されました。この神社は、古代から海上交通の安全や漁業の繁栄を祈願する神聖な場所として、地域社会にとって重要な存在となってきました。市杵島姫命は、ここで海の守護神として崇敬され、現在でも多くの参拝者が訪れています。
「厳島神社」は古くは「伊都岐島神社」とも記されており、このことからも市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)への信仰の強さを感じることができます。
池だった頃の中寺弁天泉公園
中寺弁天泉公園は、現在のように整備される以前は「弁天池」と呼ばれていた溜池でした。この池は、昔から形があまり変わっておらず、厳島神社のある場所から、道路側の池が「男弁天」、奥側の池「女弁天」と呼ばれていました。
弁天池から流れる水は、下流の人たちも生活に利用していたので、昔の人々は洗濯をする場所を決めて、水が汚れないように工夫していたと言われています。
また、弁天池は自然が豊かで、水質も非常にきれいだったため、昔からさまざまな水棲生物が生息していました。池の中には、水草が豊富に生い茂り、魚や昆虫などが多く見られたとされています。
夜になると池の周りで光を放つ源氏蛍が飛び交い、幻想的な景色が広がっていました。源氏蛍は、清流でしか生息できないため、弁天池の水の清らかさを象徴する存在でもありました。
干ばつを救った泉
弁天池は、外部から水が流れ込む池ではなく、地中から自然に水が湧き出て溜まった泉なので昔から「弁天泉」と呼ばれ親しまれてきました。この綺麗な水は、地域の人々にとって貴重な水源として利用され、生活や農業を支える重要な存在でした。
昔は、大きなダムも作られておらず、水道設備も整っていませんでした。また、農業に従事する人々が多く、水の確保は地域にとって大きな課題でした。多くの集落が一つの河川を利用する場合、水利権や治水費用の負担をめぐって集落間でトラブルが発生することもありました。そのため、各集落が独自に溜池を持つことで、水を巡る争いを防ごうとしました。
しかし、地形や資金の問題から、溜池の建設は簡単なものではありませんでした。そのため、藩政時代には藩が財力を注ぎ、大塚池や鹿子池といった大規模な溜池を築いて、領内の農業用水を安定供給しようとしました。それでも、干ばつの年には十分な水が確保できず、水を巡って激しい争いが起こることもありました。
こうした水の争いでは、田畑の近くに個人で井戸を掘って水を汲み上げようとしましたが、これではまったく足りず、多くの田畑が渇水に苦しみました。
そんな中で、中寺の弁天泉のように湧き水が自然に溢れ出る場所は非常に貴重な存在でした。
「宮島さん」弁天泉を祝うお祭り
集落の人々は、古くからこのような泉を神聖な場所と考え、水を守る神を祀りながら、感謝の気持ちを込めて祭りを続けてきました。
弁天泉もその一つで、この泉から湧き出る清らかな水のおかげで、この地域では豊作が続いたと言われています。その感謝の気持ちを表すため、収穫したお米を神様に捧げ、毎年7月17日にお祭り「宮島さん」をするようになりました。
昔、この地域では、子どもたちが毎年のお祭りで相撲を取って競い合う風習がありました。相撲は、単なる娯楽や競技としてだけでなく、力強さや健康を象徴する神聖な行為として行われ、神様への感謝や祈願の一環とされてきました。子どもたちが相撲で力を競うことは、地域の活力や豊穣を祈る意味合いも込められていたのです。
また、七夕の時期でもあったので、集められた笹を持ち寄り、それを燃やす行事も行われていました。この「笹を燃やす」行為は、邪気を祓い、神聖な浄化の儀式として昔から大切にされてきました。笹の煙が天に昇ることで、祈りや感謝の気持ちが神様に届き、地域に幸福や豊作がもたらされると信じられていました。
弁天泉のように、全国各地にある弁財天や厳島神社(市杵島神社)の祠は、かつて湧き水が出ていた池の近くに建てられていることが多く見られます。これらの祠や神社は、昔の人々が水の恵みを大切にし、泉を神聖な場所として崇めていた証です。
弁天泉にまつわる伝承
昔、この地域では、祭りの前日になると、近所の子どもたちが集まり、石拾いや草引き、そして掃除を行う風習がありました。それが終わると、子どもたちは池の水の出口をせき止め、祭りの日に備えました。そうすることで、祭りの日には池いっぱいに水が溜まり、子どもたちはその水で楽しそうに泳ぐことができたのです。
この日は特別な日とされており、女の人たちは「この日に髪を洗うと汚れがすっかり落ち、髪が美しくなる」と言い伝えられていました。男の人たちは、祭りの日の朝に池で泳ぐと一日元気が出ると信じられていました。
厳島神社の主祭神である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は、家内安全や病気平癒のご利益があるとされ、地域の人々に信仰されてきました。また、市杵島姫命は非常に美しい女神様としても崇敬されており、「美人祈願」のためにこの神様をお参りする人も多くいたと言われています。
こうした信仰が背景となり、祭りの日に女性が髪を洗ったり、男性が泳いだりすると健康や美しさがもたらされるという伝承が生まれたと考えられます。