2025年3月25日(火曜日)、この日も気温は日中には25度を超えていました。
この温かい気温と乾燥の中で、火はさらに猛烈な勢いで燃え広がり、特に夜間のヘリコプターが活動できない時間帯にはその勢いが増す一方でした。
長時間の消火活動により、地元消防団員たちは疲労の限界に達しており、部分的に休息を取る必要が生じていました。この状況を受け、愛媛県からの全面的な支援が動き出しました。
ヘリコプター支援:
- 自衛隊からは5機のヘリコプターが投入
- 消防防災ヘリコプターとして愛媛県1機、徳島県1機
地上部隊による消火活動の展開:
- 今治市消防本部からは11台の消防車と37人の消防隊員(合計292人)
- 今治市消防団からは7台の消防車と62人の消防団員(合計606人)
- 県内からは27隊90名の応援隊が12の消防本部・局から派遣
被災地となった地元へ
朝、避難先から被災地となった地元へ向かう途中、避難所となっている桜井公民館を通りました。この時、避難する人々はまだまばらで、この距離でもまるで遠い対岸の火事のような状況であることがわかりました。
できれば、このままずっと平穏な日常が続いてほしいと願いました。
9時ごろに自宅に戻ると、周囲は火の粉と共に降り積もった煤が庭のあちこちに溜まっていました。
この時、昨晩の緊迫した状況をようやく理解しました。
3つ目のラインの封鎖
昨日、避難指示が出された緑ヶ丘団地は危機的状況に直面していましたが、決死の消防活動によって何とか食い止められていました。早朝6時からはリコプターによる消火活動も再開され、少しずつ火の手を押し戻したようでした。
しかし、7時45分頃、3つ目の防衛ラインとして考えられていた石打峠(県道162号線)が通行止めになりました。
これは消防活動を円滑に行うためでもありましたが、同時に事態がさらに深刻になったことを意味していました。
もし県道162号線を挟んで隣の山に火が燃え広がるようなことになれば、朝倉では満願寺、桜井では高麗池方面へと火の手が進行し、場合によっては4つ目の防衛ラインである国道196号線を越える可能性も出てきました。
その場合、法華寺側の山や桜井小学校、中学校、さらには避難場所である桜井公民館、そして綱敷天満神社方面が直接的な脅威にさらされ、桜井地区全体が壊滅してもおかしくはありませんでした。
不気味な竹の破裂音
11時頃、周囲の竹林からポップコーンが弾けるような音が聞こえ始めました。
しかし、それはポップコーンのような優しい音ではなく、竹が燃えて破裂する時に発する火薬のような音で、最終的には周囲の山々に反響し、とても不気味に感じました。
それはまさに文字通りの爆竹で…。
場所としては、おそらくこのあたりで発生していたのだと思います。
この日ではありませんが、見回りをしている中で、通常の竹の一部に亀裂が入っており、内部が燃え盛って赤く光っているのを目撃しました。
そして、鎮圧宣言が出される少し前、伊予桜井駅の裏手へ見回りに行った際には、竹が内部から破裂し、焦げている様子を確認しました。
それが以下の写真です。
3つめの防衛ラインを突破
11時30分頃、長沢の代表である惣代が、「このままでは石打峠(県道162号線)を越えてしまう」との情報をつかみ、すぐに119番に電話をかけました。
「このままでは隣の山に火の手が回り、さらに大変な事態になる。延焼を食い止めるためにも、すぐに来てください!」
しかし、どういう理由かはわかりませんが、消防車は来ませんでした。混乱状態だったのか、人手が不足していたのかは不明なので、この点については言及しません。
そして12時39分頃、ついに3つ目の防衛ラインである石打峠(県道162号線)を越え、宮ヶ崎方向の山が一気に燃え上がりました。
燃え上がったとはいえ、炎自体は確認できませんでした。しかし、立ち上る煙と爆竹のように鳴り響く竹が燃える音によって、確実に火の手が進んでいることを実感しました。
以下は少し後の時間帯に記録した動画ですが、状況が伝わるかと思います。
「逃げて!」SNSを使っての呼びかけ
その勢いは明らかに速く、4つ目の防衛ラインとして考えていた国道196号線の方向にも迫っているように思えました。
もうダメだ…どう考えても止まらない…。
高麗池までは若干の距離がありましたが、これまでの火の広がりの速さから、すでに向こう側も深刻な事態に陥っていると判断した私は、SNSで強く警告しました。
4つ目の防衛ラインを突破…ついに桜井全体が危険に
それからわずか10分ほど経った頃でしょうか?
なんと、4つ目の防衛ラインとして考えていた国道196号線すらも飛び越え、「三の谷」側の山に燃え移ったことを知りました。
…いくらなんでも早過ぎる。
一瞬で広がったこの火災の速度に、このままでは最悪の事態、桜井地区の大部分が消失する可能性さえあると強い危機感を抱きました。
火の手がついに建物に迫る
14時前、私がいた場所も炎に囲まれていましたが、この時点ではまだ炎との距離があったため、まさに今燃え広がっている三の谷の様子を確認しに行きました。
それが次の動画になります。
この動画からは、当時煙に包まれていた長沢の様子や、強風の影響を感じることができると思います。
まさに民家に火の手が迫る直前で、通報はおそらくすでにされていたと思いますが、まだ消防車がこの場に到着していません。
これは、この頃の火の勢いは、もはや誰も想像できない速さで進行していたことを示しています。
民家が燃えた?錯綜する情報
「この情報を周囲に伝えてからわずか10分後、14時20分頃には住宅が燃えているという情報が入りました。
しかし、消防隊が既に現場に到着しており、活発に消火活動を展開していました。
倉庫や空き家は残念ながら燃えてしまいましたが、民家は消防の方々によって辛うじて守られました。
最終的に、今回の山林火災では長沢地区において住宅の焼失も死傷者も発生しませんでした。
伊予桜井方面へと飛び火
ここから先の炎は、法華寺から伊予桜井駅の方向へ広がっていきました。そのため、すでに山林が焼け落ちてしまっていた長沢は一時的に安全が確保され、静けさを取り戻し始めていました。
一方で、長沢が静かになったとはいえ、依然として火に囲まれた状況に変わりはありませんでした。15時頃になると、空から再び大量の黒い煤が降り注ぎ、消えていたはずのあらゆる方向から火柱が上がり始めていたのです。
そのため、地元から離れることができなかった私は、桜井方面の状況がどうなっているのかわからず、SNSを頼りにしていました。
それでも、私たちが目視で火を追いかけていたのとは違い、突然空から火の粉が降り注ぎ、いきなり住宅が燃え始めたことで、桜井方面の人々はパニックになっていたのではないかと思います。
実際に、地域のランドマークでもある伊予桜井駅にまで火が迫っていました。
そのため、今回の山林火災で感じた恐怖は、初日から被災し続けていた私たちよりも上だったのではないか?と考えています。
伊予桜井駅がやばい pic.twitter.com/j2XnCuTGFf
— 安藤 (@Xtui9pqkm1) March 25, 2025
突然反対の山から火柱
17時頃、1kmほど離れた位置にある養護学校がある山から突然大きな火柱が上がりました。
状況が把握できなかった私は、196号線だけではなく、38号線を越えて現れたその突然の炎に対し、一瞬、今回の山林火災が誰かの放火によるものではないかと疑いました。
しかし、SNSで確認した結果、伊予桜井駅も燃える寸前であったこと、その地域から火の粉が飛び火して建物に燃え移り、それがさらに飛び火してそこまで到達したことがわかりました。
「すぐに逃げて!」警察からの警告
この頃には、数名の警察官が「今すぐ逃げてください!」という警告をするために家を一軒一軒回り始めました。
外で火の見張りをしており、いつでも避難できる状態になった私は警察の人に、どこの誰が避難を完了しており、今家にいる人も避難をしようとしているということを伝えました。
しかし、いよいよ限界だと判断した私は、まだ避難していない家の中にいる人の玄関を開け、「もう無理!もう無理!諦めるところは諦めて、すぐに逃げないと死んでしまう!」と強く警告しました。
幸いなことに、もう避難するために外に出る準備はできていましたが、体感で50メートルもないほどの距離に迫る炎を外から見ていた私は、状況を確認し、もしその人の家に飛び火した場合は、引っ張り出す覚悟を決めていました。
自転車での避難を決断
18時頃、建物火災の影響で、国道38号線だけでなく、196号線と高速道路も封鎖されていたため、自転車で避難することに決めました。
避難後に知ったことですが、壬生川からタオル美術館方面へのルートを利用すれば避難できたようです。しかし、どちらにせよ翌日に戻ることを考慮し、私は自転車を選択していたと思います。
桜井の状況を避難中に知る
避難中、飛び火により建物の火災、住宅の庭が焼けこげているのを目にしました。
中にはホースを使って庭の火を消火している住民の姿もありました。地元で常に火の監視をしていたため、この時に初めて桜井地区の全体的な状況を理解することになりました。
避難場所から見た重要局面
20時に避難が完了し、安全な場所から地元の方向を見ると、全てが炎に包まれているかのように見えました。実際、この夜が長沢地区で最も厳しい局面で、山を挟んで消防車が集結し、朝倉と長沢を挟む形になっていました。
この時、もし長沢の住宅が燃えていたなら、次々と飛び火して反対側まで到達し、甚大な被害を引き起こしていたと考えられます。
特に夜による飛び火は心の底からゾッとします。
今回の森林火災では、このような桜井の大部分が焼失する危機とともいえる、重要局面がいくつかありました。
それはヘリによる消火ができない夜の場合が多かったのですが、距離があったためか、そのことを知らない人も多かったと思います。
教訓として、知っておいてほしいと思います。
今治 山火事
— まいど (@qOdZfiMOeEic7W6) March 25, 2025
あかん!
風が強くなってきた😰
もうやめてー pic.twitter.com/jJ9q0tvHmN
「飛び火」の恐怖
今回最大の教訓は、何よりも「飛び火」でした。
山林火災と強風によって大きく拡散した飛び火は、建物に火をつけ、その火からまた火の粉が強風に吹かれて一気に遠くへ広がるのを私たちは目の当たりにしました。
そして、飛び火による火災の拡大リスクを軽減するためには、事前に水撒きをすることが非常に重要であることもわかりました。
また、山林火災による飛び火は、消防の消火活動に大きな影響を与え、対応を複雑化させる一因となっていました。
母親を安全な場所へ避難させるために、19時頃に地元へ車を走らせていた友人によると、桜井では避難する人々の車で渋滞が発生していたそうです。
この渋滞は消防車の迅速な現場到着を妨げ、火災の拡大を許す要因となっていました。まさに、長沢の状況とはまた別の問題がここで発生していたのです。