2025年3月31日、午前11時。
延焼のおそれがなくなったとして、今治市から鎮圧宣言が出され、長沢地区と緑ヶ丘団地地区、あわせて333世帯・611人に出されていた避難指示が解除されました。
これにより、3月23日に今治市で発生した山林火災に伴って、愛媛県内で出されていたすべての避難指示が解除されることとなりました。
残り火に対する警戒は継続されているものの、この大規模な山林火災は一つの終わりを告げました。
実際のところ、3月28日以降はすでに長沢は落ち着きを見せており、地域はほぼ日常に近い状態となっていました。
本記事では、鎮圧宣言が出されるまでの3月28日から3月31日までの期間を振り返ります。
《今治山林火災6日目》昨日の雨でも消えない熱源
2025年3月28日(金曜日)。
今日は朝から雨が上がっており、気温は20度を下回っていました。
辺りはとても静かで、少しずつ日常が戻ってきているように感じられました。
この日は、上空からドローンによるサーマルカメラ(赤外線カメラ)を使った熱探知が行われ、熱源のある場所に対して、ヘリによる重点的な散水が実施されていました。
中には、すでに周囲が灰に覆われているにもかかわらず、火柱が上がっている箇所もあり、そうした場所には特に注意して散水が続けられていました。
一方で、私のいる場所からは煙は全く見えず、ヘリの音以外は静かな日常でした。
突然の援助隊到着
昼食を取っていた12時頃、広島の緊急消防援助隊が次々と到着しました。
え?どうして……?
話を聞いてみると、伊予桜井駅の方向からこちら側に煙が上がっているのを見た、という通報があったとのことでした。
昨晩の出来事もあったため、「たとえ雨が降っていても油断はできない」と、まだ私たちも警戒を続けていましたが、それらしい煙はまったく見ていませんでした。
そこで、援助隊の方々とともに、通報のあった山の方向へ煙を探しに向かいました。人が通れるギリギリの場所まで進んだものの、周囲には煙の痕跡すら見当たりませんでした。
いったん引き返し、今後は援助隊の方が改めて調査を行うことになり、その際に、再度携帯番号を聞かれました。
突然の散水
14時30分頃、住宅のすぐ隣にある竹藪に、ヘリから散水が行われました
何事!?と驚きましたが、どうやらエリアごとに順番で散水していたようでした。
鉄塔からの連絡
15時頃には、私の携帯に直接連絡があり、「山の上にある2箇所の鉄塔まで登り、上空から確認したところ異常はなかった」という報告を受けました。
これにより、私のいる周辺地域は、今回の山林火災において“鎮圧状態”に入ったと感じました。
未だ油断できない状況と「延焼阻止宣言」
とはいえ、完全に警戒を解くことはできませんでした。目の前に熱源が存在していたことを知っていた以上、油断はできませんでした。
この頃には、テレビ局の方々も取材に訪れており、地元の方々がインタビューに応じていまいた。
17時には、見回りと散歩を兼ねて20分ほど歩きましたが、異常は見られず、ただ静けさが広がっていました。
そして19時。
消火活動と昨日の雨によって、延焼拡大の危険性がなくなったとして「延焼阻止宣言」が今治市から出されました。
これまでの体験から、今治市が現在確認出来る中で、延焼の拡大が防がれているという宣言だと受け取り、引き続き気持ちを切らせないようにしていました。
《今治山林火災7日目》もう見られなかったかもしれない風景
2025年3月29日(土曜日)、午前7時。
朝からかなり静かでしたが、気づいた頃には消防車だけでなく救急車が集まって来ました。
一体何事?
状況はあとから知ったのですが、消防の方々が山の中に入って熱源を確認していたようでした。
新聞で知った火災の全体像
この日の『愛媛新聞』では、これまで不明だった延焼の範囲が地図付きでわかりやすく掲載されており、
このとき、改めてその火災の全体像を把握しました。
ヘリからの散水と、静かな確認作業
日も引き続き、ヘリによる熱源への散水が行われていました。
突然、近所の住宅のほぼ真横にある山林に向けて水が投下されたときには、さすがに驚きましたが、消火ではなく順番に散水して回っているようでした。
無事だったお墓と静かな確認
山林火災の中で、自分たちのご先祖様のお墓がある方向から、大きな煙が上がっているのを見ました。
最も危険が迫った2025年3月25日(火曜日)には、「どうかご先祖様が無事でいてくれますように……」と願いながら、自転車で避難したのを今でも覚えています。
そして今日、ようやくそのお墓がどうなっているか、確認しに行くことができました。
他の谷では、お墓のまわりがすっかり焼けてしまっている場所もあったので、正直ある程度は覚悟していました。
しかし、実際に見てみると、少し離れた場所が燃えていただけで、お墓のある一体は無事でした。
熱源をさらに叩く
10時頃には再び多数の消防車が長沢に入りましたが、これは残る熱源を完全に叩く作業だったようです。
氏神さんへの参拝
12時頃、地元の氏神さん(須賀神社・長沢)にお参りに行きました。
今回の山林火災で、何度も延焼の危機あったその神社は、消防の方々のおかげで守られ、美しい桜が咲いていました。
昨日、3月27日の18時頃。
空に稲妻が走り、待望の強い雨が降り出した時、私の心の中には神様…つまりは氏神さんの事が浮かんでいました。
長沢の氏神さん(須賀神社・長沢)は「斉明天皇」と「素戔嗚命(スサノオノミコト)」が祀られており、スサノオノミコトは雷神・雨の神といわれています。
「もしかしたら、氏神さん(スサノオノミコト)が雨を降らせてくれたのかな……」
そんな気持ちがあったので、静かに手を合わせました。
そして「もしかしたら無くなっていたかもしれないな…」と思いながら、静かな時間が流れる中で、この美しい風景を撮影しました。
他の神社・お寺の見回りと火の痕跡
14時頃からは自転車で、伊予桜井駅の裏手から桜井中学校の方へ被害状況を見に行きました。
道を進む中で、TVなどで目にしていましたが、実際にはもっと広範囲にわたる火災の跡を目にしました。
さらに、神社やお寺の状況も確認することにしました。
危険な状態であったと聞いていた、法華寺や高麗池では、実際に火がすぐ近くまで迫っていた痕跡や、消防用ホースが残されており、私が当初想定していた最悪の結果、桜井地区の大部分が焼失する可能性が現実に迫っていたことを感じました。
煤の匂い、そして最後の確認
19時ごろに晩ごはんを食べていると、近くに住む友人から『煤(すす)の匂いがする』との連絡を受けました。
他の住民の方々にも声をかけ、念のため見回りを行ったところ、特定の場所で匂いが明らかに強くなっていることを確認しました。
煙こそ見えなかったものの、「これはまだ熱源が生きている可能性があるのでは」と判断し、相談のうえで119番通報を行いました。
というのも、今回の山林火災では、地形の関係で上空から熱源を把握しづらいエリアがあると、以前から聞かされていたためです。
「ようやく落ち着き始めた状況を、再び最初からやり直すわけにはいかない」
そんな思いが強くありました。
通報後、宇和島・大洲から派遣されていた消防士の方々がすぐに駆けつけてくださり、熱源探知機を携えて山の中へと入って行かれました。
この調査の結果、臭いの発生源である熱源は、すでに完全に鎮火していたことが確認されました。
しかし、まだ「鎮圧宣言」が出されていない状況だったので、私たちは気を緩めることなく、引き続き警戒を続けていく必要があると確認し合いました。
《今治山林火災8日目》この状況でまさか…。放火による信じられない火災
2025年3月30日(日曜日)。
この日も全体としてはかなり落ち着いていました。
とはいえ、ヘリコプターによる熱源への散水や、消防隊の方の警戒は引き続き行われており、その様子を見ながら、「熱源って、こんなにも消えにくいものなんだな……」と、あらためて自然の怖さを感じました。
1日を通して、そのような緩やかな時間が流れていたのですが…20時ごろ、突然消防車のサイレンが鳴り響きました。
「えっ、またどこかで燃えているのか!?」と、一気に緊張が走りました。
しかしその後、耳に入ってきたのは、「放火による住宅火災だった」という衝撃的な事実でした。
今回の山林火災では、愛媛県内だけでなく、県外からも多くの消防隊の方々が応援に駆けつけ、懸命の消火活動を続けてくださっていました。
それでも、いくつもの建物が焼失し、多くの住民が不安と向き合いながら避難生活を送っていた中での……放火だと?
ただただ言葉を失いました。
《今治山林火災9日目》鎮圧宣言、そして雨――終息の兆し
2025年3月31日、午前11時。
ついに、今治市から「鎮圧宣言」が出されました。
この発表によって、地域全体にひとつの区切りがもたらされましたが、それでも私の中には、まだどこかに不安が残っていました。
しかしその2日後、4月2日の夜に再びまとまった雨が降ったことで、心から「もう大丈夫かもしれない」と思えるようになりました。
一方、日常に戻った言って差し支えないほどに落ち着いてきたとはいえ、“鎮火”ではなく、多くの消防隊員の方々が現地に残り、完全な鎮火に向けて最後の見回りや確認作業を続けてくださいました。
鎮圧から鎮火へ
鎮圧宣言が出されてから1週間たった2025年4月9日。
上空では、ヘリコプターによる監視飛行が続いていました。
この日は風が強く、燃え尽きた灰が空へと舞い上がり、まるで焚き火のあとに立ち上るような煙が広がっていました。
地上から見る限り、それが火によるものか、単なる灰なのかを判断するのは難しく、私たちの中にもまだ警戒心が残っていました。
翌10日から11日にかけては、消防の方々が山に入り、現地での確認作業を続行。
さらに電気や土木関係の作業員の姿も見え、倒木や崩落の危険がある場所の点検、復旧に向けた準備が進められていました。
4月12日には、ドローンを使った熱源の探索が行われ、夜には雨が降り始めました。
「いよいよ、これで鎮火が発表されるかもしれない」
そんなふうに思っていました。
そして13日。
現場に残されていた長い消防ホースが、ゆっくりと巻き取られていくのを見たとき、
「終わりが近づいている」――そんな気配をはっきりと感じました。
そして迎えた、2025年4月14日。
この日も朝から、強い雨が山を包み込んでいました。
午後3時。
今治市と西条市は、「火が完全に消し止められた」として、山火事の“鎮火”を正式に宣言しました
火災の発生から、実に22日間後こうして2025年の山林火災は終わりを迎えました。
火が消えても、記憶は残る
しかし、焼けた山々、焦げた木々、漂う煤のにおい…。
それらは今も、あの火の記憶をはっきりと私たちに刻み続けています。
そして何より、昼も夜も休むことなく現場に立ち続けた消防隊員の人々の姿は、これからも、私たちの心の奥に深く残り続けていくでしょう。