神社SHINTO
古くから信仰を集めてきた神社の由緒と、その土地に根付いた文化を紹介。
四国八十八ヶ所霊場の一つ「南光坊」は、もともと大三島の大山祇神社の別当寺として建立され、別宮大山祇神社の創建に伴い現在の地へ移りました。その後、真言宗の開祖・空海が法楽をあげたことを機に四国霊場に定められ、現在も多くの巡礼者や参拝者が訪れています。
朝倉地区は斉明天皇ゆかりの地として伝えられており、その歴史の中で多くの神社や寺院が建立されました。その一つ「無量寺は、663年の白村江の戦いの戦勝祈願のために「車無寺」として創建され、後に現在の地へ移転し「無量寺」と改称されました。かつてはしだれ桜の名所としても知られ、春には多くの花見客が訪れました。
南北朝時代、北朝軍に敗れた長慶天皇が高野山から伊予へ逃れる途中、玉川地区に立ち寄ったと伝えられるのが、奈良時代に創建された「光林寺」です。この寺院は、かつて7,000人もの僧兵を擁し、修験者たちとともに南朝を支えたとされています。