今治市鳥生に佇む「実法寺(じっぽうじ・實法寺)」は、地域の信仰を支えてきた禅寺であり、また郷土芸能「継ぎ獅子(継獅子)」と深い関わりをもつ特別な場所でもあります。
創建と歴史的歩み
実法寺(じっぽうじ)は、寛永17年頃(1640年頃)、今治市内の円光寺(えんこうじ)の第四代住職で、地域教化に尽力した高僧・凸嶺秀八大和尚によって開かれた曹洞宗の寺院です。
開山以来、実法寺は今治市鳥生の地に根ざし、禅の教えを受け継ぎながら、地域の人々の心の拠り所として歩みを重ねてきました。
円光寺の再興
円光寺は、創建年代に諸説あるものの、かつては霊仙山城を拠点とした中川親武をはじめとする中川一族の菩提寺として、地域において重要な役割を果たしていました。
中川一族は、平安時代末期の源平合戦(治承・寿永の乱、1180〜1185年)において平家方に属し、当時、湯築城(現・松山市)を拠点として各地の戦に参加していたと伝えられています。
しかし、壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が滅亡すると、平家側の勢力は各地で崩壊し、中川氏もまた没落の運命をたどることになりました。
そして、頼るべき後ろ盾を失った円光寺も、時代の波に押されるように静かに衰えていきました。
しかし、1602年頃、関ヶ原の戦いでの功績により今治を治めることになった藤堂高虎が、この地の城下町整備や寺社の再建を進める中で、円光寺も再興されました。
近代以降の再建と整備
その後、円光寺の教えと信仰が地域に広がっていく中で、寛永17年頃(1640年頃)に実法寺が開かれ、今治市鳥生の地に根ざしながら、禅の教えを伝え続けてきました。
近代に入っても、実法寺は地域の信仰の場としてその役割を守り続け、寺院の整備も進められていきます。
大正11年(1922年)には本堂が再建され、大正13年(1924年)には庫裡も再建され、現在の〜〜 ました。
さらに、昭和8年(1933年)には豊川稲荷が、昭和55年(1980年)には水子地蔵堂が建立されるなど、代々の住職や信徒の尽力によって境内は整えられ、現在に続く実法寺の姿がかたちづくられていきました。
継ぎ獅子の創始者が眠る
実法寺は、継ぎ獅子発祥の場所として知られる三嶋神社・祇園神社のすぐ側にあり、その境内には、継ぎ獅子の創始者である高山重吉のお墓があります。
高山重吉氏は、弘化元年(1844年)に鳥生村に生まれ、地域文化の振興に尽くした人物です。
明治初年、村の祭礼に新たな舞を取り入れたいという人々の声を受け、伊勢へと修行の旅に出かけ、現地で獅子舞の演技や構成を学び取りました。
帰郷後には、地元の三嶋神社・祇園神社にて初めてその舞を奉納し、地域の若者たちに自ら指導を行いました。
この獅子舞は、舞手が肩の上に乗りあがる「継ぎ」の所作を取り入れた躍動的な様式で、やがて「鳥生獅子」と呼ばれるようになりました。
やがてその力強く躍動的な舞は「継ぎ獅子」として知られるようになり、重吉氏の弟子たちの手によって今治一帯に広がっていきました。
現在では継ぎ獅子は愛媛県指定無形民俗文化財に指定され、今治の春祭りを彩る伝統芸能として高く評価されています。
その功績を称え、昭和49年(1974年)には三嶋神社・祇園神社の境内に「獅子舞発祥ノ地」の石碑が建立され、重吉氏の偉業が今に伝えられています。
今治市を訪れた際には、継ぎ獅子と深いゆかりをもつ実法寺を訪れ、受け継がれてきた歴史と想いに触れてみてください。