「荒木八幡大神(あらきはちまんおおかみ・宅間荒木八幡大神)」は、日本古来の八幡信仰にもとづき、今治市の宅間地域における守護神として深い崇敬を受けてきた神社です。
荒木八幡大神の創建
荒木八幡大神の創建は、崇峻天皇(すしゅんてんのう)の御代、己酉二年三月(西暦587年頃)に胸肩大明神(むなかただいみょうじん)が勧請されたとされています。
胸肩大明神とは
胸肩大明神(むなかただいみょうじん)は、宗像三女神(むなかたさんじょしん)を総称する神格であり、古代日本における海上交通の守護神として篤い信仰を集めてきました。
宗像三女神「田心姫神(たごりひめのかみ)」「湍津姫神(たぎつひめのかみ)」「市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)」は、日本神話において天照大神(あまてらすおおみかみ)の子とされ、その神聖な御神威によって日本列島と朝鮮半島、中国大陸を結ぶ交易や外交において重要な役割を果たしました。
宗像三女神は、それぞれ福岡県宗像市にある宗像大社の三つの宮に祀られています。
宗像三女神への信仰「宗像信仰」は、特に海上交通が国家の生命線であった古代日本において重要な役割を果たしました。玄界灘は日本列島と海外を結ぶ要路であり、その安全を祈る宗像三女神の信仰は、地方信仰の枠を超え、朝廷にも取り入れられることで国家的な意義を持つようになりました。
やがて、宗像三女神は単なる航海の守護神ではなく、国家の安定や繁栄を象徴する存在へと昇華していきました。
現在でも宗像大社はその中心的役割を果たし、宗像信仰は現代に受け継がれています。古代の海洋国家としての日本の発展を支えた宗像三女神の御神威は、今もなお海上安全や地域の発展を願う多くの人々の信仰の対象となっています。
宇佐八幡宮の勧請と合祀
貞観元年(西暦859年)、八幡信仰の中心である「宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)」が勧請され、胸肩大明神と合祀されました。この勧請は、荒木八幡大神の信仰に新たな広がりをもたらし、宗像信仰と八幡信仰という二つの重要な神道信仰が結びつく画期的な出来事となりました。
宇佐八幡宮は、大分県宇佐市に位置する八幡信仰の総本山であり、応神天皇を神格化した八幡神を祀る神社として広く知られています。
八幡神は、武運長久や国家の守護、さらには地域社会の繁栄を象徴する神格として、古代から篤い信仰を集めてきました。奈良時代以降、八幡信仰は朝廷に取り入れられ、国家規模の祭祀に組み込まれることで、全国の神社に広がりました。その中でも宇佐八幡宮は、八幡信仰の中心地として絶対的な地位を確立し、その神威は全国的に影響を及ぼしていました。
この合祀には、宗像信仰と八幡信仰という異なる性格の信仰を結びつけることで、より広範囲な信仰の基盤を形成し、国家と地域の両方に安定と繁栄をもたらすという明確な目的があったと考えられます。
そして現在も荒木八幡大神は、その長い歴史と信仰の背景を受け継ぎながら、航海安全や武運長久、地域の発展を願う多くの人々の祈りの場となっています。