桜井中学校・小学校に隣接する「法華寺(ほっけいじ)」は、地元の学校やコミュニティと深い関わりを持ちながら、地域の文化と伝統を守り続けています。
歴史はパンデミックから弘法大師へ
法華寺の起源は、奈良時代の天平13年(741年)にさかのぼります。当時、日本は天然痘のパンデミックに見舞われ、聖武天皇と光明皇后は仏教の力で国家の平安を祈願するため、法華寺を創建しました。
これは全国に国分寺と国分尼寺を設立する大規模な計画の一環であり、法華寺は伊予国の国分尼寺としてその一角を担いました。
当時、日本は天災や疫病による困難な時期を迎えており、特に天然痘の流行は深刻でした。聖武天皇はこの危機に対応するため、仏教を国家鎮護の手段としました。
この鎮護国家思想に基づき、全国各地に国分寺と国分尼寺を建立することが決定されました。国分寺は男性僧侶のため、国分尼寺は女性僧侶のための寺院で、それぞれが地域社会と国家の安定を祈念する役割を担いました。
創建当初、法華寺は華厳宗東大寺に属していましたが、平安時代の弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がこの地を訪れて真言の教えを説いたことで、真言宗へと改宗しました。
鎌倉時代の建治元年(1275年)には後宇多天皇の勅命により、西日本の国分寺と共に真言宗西大寺の末寺となりました。その後、三度の戦乱を経て江戸時代の寛永2年(1625年)に現在の高台に移転し、今日までその歴史と文化を伝え続けています。
再建された本堂には、歴史の重みを感じさせる仏像が安置されており、多くの参拝者の祈りを受け入れてきました。また、法華寺には国分尼寺塔跡や木造阿弥陀仏坐像などの多くの貴重な文化財があり、その歴史に想いを寄せることもできます。