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神社SHINTO

古くから信仰を集めてきた神社の由緒と、その土地に根付いた文化を紹介。

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医王寺(今治市・玉川地区)

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「医王寺(いおうじ)」は、愛媛県今治市玉川町に位置する由緒ある寺院で、地域の人々から長い間信仰を集めてきました。この寺の歴史は、千年以上にわたる時を刻んでおり、その起源は古く、人皇五十六代清和天皇(858〜876)の時代にまでさかのぼります。

河野深公「伊予の守護者と創建」

医王寺の創建は、河野家の「河野深公(こうの ふかみ)」によるものと伝えられています。

河野深公は、清和天皇(858〜876)の守護者として名を馳せ、朝廷からもその力を認められた人物で、伊予国の桑村郡(現在の今治市玉川地区)に移住し桑村御館と呼ばれる邸宅を構えて地域を治めていました。

河野深公の一族「河野家(こうのけ)」は、伊予国を中心に長い歴史を誇る名門の一族です。河野家の祖先は、平安時代から瀬戸内海の制海権を握る海賊衆としても知られ、四国全域に強い影響力を持っていました。この一族は、戦国時代に至るまで政治的・軍事的に重要な役割を果たし、伊予国の統治者として君臨していました。

河野家は、古来より伊予国を統治していた豪族「越智氏」の血脈で、伊予国の中心的な一族として多くの寺院や神社を庇護し、地域信仰を支える存在でもありました。河野深公は、その中でも特に重要な人物として、伊予国における政治的・宗教的な役割を果たしました。

医王寺が創建された背景には、このような河野家の勢力拡大と、地域の信仰を支える役割がありました。河野深公は、地域の人々の心の支えとなるため、また一族の繁栄と平穏を願って、徳上人という高僧に命じ、寺院の建立を行わせたとされています。そしてこれが医王寺の始まりになります。

河野家との深い関係

河野家は医王寺に多くの寄進を行い、寺の発展を支援しました。お寺の記録によると、医王寺に対して「寺領十町四方(じりょうじゅっちょうしほう)」という広大な土地を永代にわたり寄進したとされています。「十町四方」とは、寺の管理下に置かれた土地の広さを表し、おおよそ十町(約9ヘクタール)の広さに相当します。

さらに、「田地三反(でんちさんたん)」、すなわち三反(約3,000平方メートル)の田んぼも祈祷料として与えられたとされています。

この寄進された田地に由来して、周辺の村は「三反地村(さんたんじむら)」と呼ばれるようになり、現在も愛媛県今治市玉川町三反地としてその名が残っています。

三反地村は、医王寺の祈祷料としての土地であり、寺と地域が密接に結びついていることを象徴しています。地域の人々もまた、この田地を通じて寺を支援し、信仰と経済が一体となって発展していったのです。

医王寺の中興と復興の歴史

医王寺は、その長い歴史の中で何度か衰退しましたが、優れた僧侶たちによって再興され、現在も地域の信仰を支えるお寺として存続しています。

嘉永七年(1854年)に書かれた記録「光林寺末山先師各霊加」によると、玉範上人が医王寺の再建(中興)を行い、天正十九年(1587年)4月に亡くなったとされています。続いて、医王寺のさらなる再興を果たしたのは祐範上人で、寛永十年(1633年)8月9日に亡くなったことが記録されています。

このように、玉範上人による中興と祐範上人の復興によって、医王寺は度重なる困難を乗り越え、今も地域の信仰を支える寺として存続しています。

薬師如来のご利益と信仰

医王寺は本尊として「薬師如来(やくしにょらい)」、正式名称「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」を祀っています。薬師如来は、大乗仏教における非常に重要な仏で、特に病気治癒や健康長寿、災難除去を願う人々に信仰されています。

仏教の教えでは、薬師如来は東方に存在する浄瑠璃世界(瑠璃光浄土)を治める仏であり、「医王善逝(いおうぜんせい)」や「大医王仏」とも呼ばれます。これらの別名が示す通り、薬師如来は病を癒し、苦しみから解放してくれる仏として、古来より多くの人々に崇められてきました。

薬師如来は、十二の大願を立て、その中には「すべての生きとし生けるものを苦しみから救い、病を治し、寿命を延ばす」という誓いが含まれています。このため、現世でのご利益を求める信仰が特に強く、薬師如来は、病気平癒、延命、厄除けの仏として広く信仰されてきました。

薬師如来像には、いくつかの特徴があります。一般的な姿は、左手に薬壺を持ち、右手で施無畏印(せむいいん)を結ぶ姿です。施無畏印は「恐れを取り除き、安心を与える」という意味があり、薬師如来が病を癒し、人々に安心をもたらす存在であることを象徴しています。

また、薬師如来像の両脇には、日光菩薩(にっこうぼさつ)と月光菩薩(がっこうぼさつ)を脇侍として従え、さらに十二神将が周囲を守護する姿がよく見られます。十二神将は、薬師如来を守りながら、信仰する者を災厄から守る役割を担っています。

薬師如来を本尊とする寺は多く、例えば奈良の薬師寺や京都の東寺などが有名です。その中で玉川町の医王寺も同様に信仰を集めています。

医王寺へのアクセス

医王寺に繋がる道路からは看板だけしか見えないため、知らない間に通り過ぎてしまいそうになりますが、民家の合間の道路を登ったところに突如として現れる医王寺は、丁寧に整理整頓され、境内にはフジの花など季節のうつろいを感じる美しい自然と調和した異世界を感じさせてくれます。

ぜひ医王寺を訪れて、今治市玉川町の歴史と自然の美しさを堪能してください。

寺院名

医王寺(いおうじ)

所在地

愛媛県今治市玉川町中村甲314

電話

0898-55-3457

宗派

高野山真言宗

山号

宝幢山

院号

薬師院

本尊

薬師如来

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