中寺弁天泉公園には、静かな池を見守るように「厳島神社・中寺弁天泉公園(いつくしまじんじゃ)」が鎮座しています。
かつて「弁天池」と呼ばれたこの場所は、自然に湧き出る清らかな水と、その水を司る女神「弁天さま」への信仰が今も息づく、地域に人々とってかけがえのない場所でもあります。
弁天さまってどんな神さま?
「弁天さま」と聞くと、なんとなくお金の神さまや芸術の守り神というイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。
実際、弁天さまは「水・音楽・知恵・財」など、さまざまな分野を守る女神として、古くから人々の信仰を集めてきました。
「弁才天」という本来の名前
「弁天さま」は「弁才天(べんざいてん)」の略称で、この「才」は、「才能」や「知恵」、「弁舌(話す力)」を意味します。
弁才天は、学問・芸術・音楽・話術の守護神として尊ばれており、特に知恵や表現力を重んじる人々に広く信仰されてきました。
七福神「弁財天は」
弁才天は、やがて「財(富や繁栄)」をもたらす神として信仰されるようになり、「弁財天」という名前でも呼ばれるようになりました。
こちらのほうが馴染み深いという人も多いかもしれません。
とくに江戸時代以降、商業の発展とともに「財」のご利益が注目され、弁財天への信仰は町人や芸能関係者、商人たちのあいだでも盛んになっていきました。
こうした信仰の広がりの中で、弁財天はやがて七福神の一人としても親しまれるようになります。
七福神とは、福・寿・財・徳など、人生の幸せをもたらす七柱の神々のことで、室町時代ごろから庶民のあいだに信仰が定着しました。
- 恵比寿(えびす)…漁業・商売の神
- 大黒天(だいこくてん)…食物・財の神
- 毘沙門天(びしゃもんてん)…戦勝・財宝の神
- 弁財天(べんざいてん)…音楽・知恵・財運の神
- 福禄寿(ふくろくじゅ)…長寿と幸福の神
- 寿老人(じゅろうじん)…健康と長寿の神
- 布袋尊(ほていそん)…家庭円満・笑いの神
この中で、唯一の女神が弁財天です。
弁財天は、音楽や芸術の才能を授ける神さまとしてだけでなく、金運や商売繁盛、良縁、学問成就など、さまざまなご利益をもたらす神として信仰されています。
そのため、七福神の中でもとりわけ多彩なご利益を持つ存在として、今も多くの人々から厚く崇敬されているのです。
そんな弁才天のルーツは、古代インドのヒンドゥー教の女神「サラスヴァティー」にさかのぼります。
弁才天のルーツ「女神サラスヴァティー」
サラスヴァティーは、白い衣をまとい、静かにヴィーナ(インドの弦楽器)を奏でる姿で描かれることが多く、その穏やかで神聖なたたずまいは、芸術・学問の象徴として親しまれてきました。
「流れるもの」
サラスヴァティーという名前は、サンスクリット語で「流れるもの」を意味します。
その名の通り、彼女はもともとインダス川の東を流れていた“サラスヴァティー川”に宿る神聖な存在として信仰されていました。
この川は現在の地図上では失われたとされますが、かつては豊かな水をたたえ、農業や生活を支える命の源として、多くの人々に崇められていたと伝えられています。
インド全土で尊ばれる神様
やがて、人々は水の持つ力を、「命を育てる」だけでなく、「知恵や創造を育てるもの」としても考えるようになります。
そして、こうした考えの広がりとともに、サラスヴァティーは、学問・音楽・芸術・言葉の守り神としてもインド全土で深く尊ばれるようになりました。
仏教とともに日本へ渡来した女神
仏教がインドから中国、そして日本へと伝わる過程で、ヒンドゥー教の女神サラスヴァティーは仏教に取り入れられ、日本では「弁才天(べんざいてん)」として信仰されるようになりました。
また、日本においては、弁才天は仏教だけでなく、神道の神々とも結びつき、神仏習合の中で独自の信仰が形成されました。
「三弁天」水と祈りの聖地
こうした弁才天信仰の広がりの中でも、とくに重要とされているのが、「三弁天(さんべんてん)」と呼ばれる三社です。
- 江ノ島弁財天(神奈川県)
- 竹生島弁財天(滋賀県・琵琶湖)
- 厳島弁財天(広島県・厳島神社)
これら三社はいずれも水辺や島に鎮座しており、水とともに生きる日本人の精神文化を色濃く映し出しています。
中でも、広島県の厳島神社は、弁才天と同一視される神・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神とする、代表的な神社の一つです。
市杵島姫命と弁才天の習合
市杵島姫命は、日本神話に登場する宗像三女神(むなかたさんじょしん)のひとりです。
宗像三女神は、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命の三柱から成り、いずれも海や水を守る神々として信仰されてきました。
なかでも市杵島姫命は、水辺の安全や船旅を守る神として広く崇敬されてきました。
古代から海上交通や漁業が重要な役割を担っていた日本では、航海の安全と漁業の繁栄を祈る信仰が深く根づいており、市杵島姫命は、まさに地域社会を支える存在であり続けてきたのです。
インドのサラスヴァティーに由来する弁才天もまた、水や言葉、芸術をつかさどる神であったことから、この水にまつわる共通性によって、やがて市杵島姫命と弁才天は同一視されるようになりました。
厳島神社の主祭神「市杵島姫命」
市杵島姫命を主祭神とする厳島神社は、全国に約500社ある厳島神社の総本社で、古代から海上交通の安全や漁業の繁栄を祈願する神聖な場所として、地域社会にとって重要な存在となってきました。
市杵島姫命は、ここで海の守護神として崇敬され、現在でも多くの参拝者が訪れています。
池だった頃の中寺弁天泉公園
このような信仰の広がりは、海辺の大規模な神社に限らず、身近な水辺の祠や小社にも姿を変えて受け継がれてきました。
今治市中寺にある中寺弁天泉公園もまた、そうした水の信仰が今に息づく場所のひとつです。
「弁天池」清らかな水質
中寺弁天泉公園は、現在のように整備される以前は「弁天池」と呼ばれていた溜池でした。
この池は、昔から形があまり変わっておらず、厳島神社のある場所から、道路側の池が「男弁天」、奥側の池「女弁天」と呼ばれていました。
弁天池から流れる水は、かつて下流の住民の生活にも利用されていたため、この地域の人々は、洗濯場所を使い分けるなど、水を汚さないように気を付けていました。
また、弁天池は自然が豊かで、水質も非常にきれいだったため、昔からさまざまな水棲生物が生息していました。池の中には、水草が豊富に生い茂り、魚や昆虫などが多く見られたといいます。
夜になると池の周りで光を放つ源氏蛍が飛び交い、幻想的な景色が広がっていました。
源氏蛍は、清流でしか生息できないため、弁天池の水の清らかさを象徴する存在でもありました。
「弁天泉」
こうした澄んだ水は、川などから流れ込むのではなく、地中から自然に湧き出す湧き水によって生まれたものです。
池という名前がついてはいますが、実際には泉であり、昔から「弁天泉」と呼ばれ、地域の人々に親しまれてきました。
干ばつを救った泉
昔は、大きなダムも作られておらず、水道設備も整っていませんでした。また、農業に従事する人々が多く、水の確保は地域にとって大きな課題でした。
多くの集落が一つの河川を利用する場合、水利権や治水費用の負担をめぐって集落間でトラブルが発生することもありました。
そのため、各集落は水を巡る争いを未然に防止するため、独自に溜池つくっていました。
藩の財力で築かれた溜池と干ばつ
とはいえ、池を作るには地形や資金の問題もあり、簡単ではありませんでした。
そのため、江戸時代には藩が財力を注ぎ込み、大塚池や鹿子池といった大規模な溜池を築いて、領内の農業用水を安定的に供給しようとしました。
しかし、それでも干ばつの年には水不足が深刻化し、村同士で水を奪い合うような水争い(みずあらそい)が頻発しました。
収穫が見込めなくなれば、年貢も納められず、生活も立ち行かなくなります。
水をめぐる争いは、単なる生活問題ではなく、生死に関わる深刻な問題だったのです。そこで一部の農民たちは、田畑の近くに井戸を掘って自前で水を確保しようと試みました。
しかし、井戸の水量には限界があり、広い農地を潤すには到底足りませんでした。
結果として、多くの田畑は乾ききってしまい、農作物の育成に大きな被害が出ることも珍しくありませんでした。
「宮島さん」弁天泉を祝うお祭り
そんな中で、湧き水が自然に溢れ出る場所は非常に貴重な存在でした。
集落の人々は、古くからこのような泉を神聖な場所と考え、水を守る神を祀りながら、感謝の気持ちを込めて祭りを続けてきました。
中寺の弁天池(弁天泉)もその一つで、この泉から湧き出る清らかな水のおかげで、この地域では豊作が続いたといわれています。
祀り
地域の人々は、感謝の気持ちを表すため、収穫したお米を神様に捧げ、毎年7月17日にお祭り「宮島さん」をするようになりました。
祭りの準備
昔は、祭りの前日になると、近所の子どもたちが集まり、石拾いや草引き、そして池の掃除を行うのが習わしでした。
掃除が終わると、子どもたちは池の水の出口をせき止め、祭り当日に備えました。
そうすることで、池にはたっぷりと水がたまり、祭り当日は子どもたちがその水で元気いっぱいに泳ぐことができたのです。
清らかな水と祈りの習慣
祭り当日。
この日は特別な日とされており、女の人たちは「この日に髪を洗うと汚れがすっかり落ち、髪が美しくなる」と言い伝えられていました。
男の人たちは、祭りの日の朝に池で泳ぐと一日元気が出ると信じられていました。
厳島神社の主祭神である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は、家内安全や病気平癒のご利益があるとされ、地域の人々に信仰されてきました。
また、市杵島姫命は非常に美しい女神様としても崇敬されており、「美人祈願」のためにこの神様をお参りする人も多くいたと言われています。
こうした信仰が背景となり、祭りの日に女性が髪を洗ったり、男性が泳いだりすると健康や美しさがもたらされるという伝承が生まれたと考えられます。
相撲大会
昔は、祭りの目玉のひとつとして、子どもたちによる相撲大会が開かれていました。
土俵のまわりには大人たちが集まり、声援を送りながら地域の子どもたちの成長と健やかな暮らしを願いました。
相撲は、単なる遊びや競技ではなく、神様に捧げる神聖な行いとして、大切にされていたのです。
七夕と祈りの炎
七夕の時期と重なっていたため、夕暮れになると七夕の名残として集められた笹に火が灯されました。
この「笹を燃やす」行為は、邪気を祓い、神聖な浄化の儀式として昔から大切にされてきました。
笹の煙が天に昇ることで、祈りや感謝の気持ちが神様に届き、地域に幸福や豊作がもたらされると信じられていました。
自然と信仰が響き合う場所
こうした自然と祈りが結びついた風習は、今も日本各地の水辺や神聖な場に残されています。
静かな水面に耳を澄ませば、そこに寄せられた祈りや願い、暮らしとともに歩んできた人々の歴史が、そっと語りかけてくるかもしれません。
中寺弁天泉公園にぜひ一度、足を運んで、その息づかいを感じてみてください。