玉川の静かな山間に佇む「浄土寺(じょうどじ)」。建長元年(1249年)、法印念西上人の手によってその扉が開かれたの寺は、鷹ヶ森城主であった越智駿河守の祈願所としても知られています。
越智氏は、その名の通り大山祇神社の祭神である小千命(おちのみこと)に遡る古代の氏族で、古代から中世にかけて越智郡を治めていました。越智駿河守通能もこの系譜を引き継ぎ、河野家や村上水軍と深い繋がりを持つ有力な武将でした。1585年、豊臣秀吉の四国征伐により小早川隆景の軍勢に攻められ、鷹ヶ森城で自刃しました。越智駿河守の弟は跡継ぎの門間太郎を逃がし、家系を存続させるために尽力しました。
鷹ヶ森城は、中世の典型的な山城であり、現在も曲輪や石積みなどが現存しています。城跡には新しい石碑が建てられ、越智駿河守の事績を偲ぶことができます。また、自刃した場所には観音堂が建てられ、その脇には越智駿河守の墓が祀られています。
浄土寺は、このような歴史的背景を持つ鷹ヶ森城と深い関わりを持ち、越智駿河守をはじめとする多くの歴史的な人物の祈願所として重要な役割を果たしてきました。そのため、今治市における重要な文化財として多くの人々に親しまれ続けています。
浄土寺を訪れることで、地域の豊かな歴史と文化に触れ、その重要性を深く理解することができるでしょう。