「貴布禰神社(きぶねじんじゃ)」は水の神を祀る神社として日本全国に約460社存在し、その総本宮は京都府京都市左京区鞍馬にある貴船神社です。特に福岡には140社、大分には94社があり、各地で深い信仰を集めています。
貴布禰神社にまつわる伝承は、日本の歴史と文化の中で重要な位置を占めており、その起源には神秘的な物語が伝えられています。貴船神社の社記には、貴船大神が「国家安穏、万民守護のため」に天上から降り立ったという伝説が記されています。太古の丑の年の丑の月の丑の日に、貴船山中の中腹にある鏡岩に天降れたという記述があり、これが現在でも丑の日が縁日とされている理由です。
また別の伝説では、約1600年前、初代神武天皇の皇母である玉依姫命が、「吾は皇母玉依姫なり。恒に雨風を司り以て國を潤し土を養う。また黎民の諸願には福運を蒙らしむ。よって吾が船の止まる処に祠を造るべし」と宣言し、大阪湾から淀川、鴨川、貴船川を遡りました。最終的に、水源の地として現在の奥宮に到達し、清水の湧き出る霊境「吹井」を見つけ、そこで祠を建てたのが貴船神社の起源とされています。
一方、今治の高市にある貴布禰神社は、聖武天皇神亀5年9月25日(729年)山城国愛宕郡木舟大明神を勧請されたとされ、主祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)です。大山祇命は山の神であり、自然の守護神として信仰されています。農業や漁業の繁栄を祈願する神事も多く行われています。
今治の貴布禰神社が大山祇命を主祭神として祀っている理由は、この地がかつて高市郷高市村と呼ばれ、豪族高市氏の本拠地だったこと関係していると思われます。
高市氏は源平の合戦に敗れ、中予北条以南に逃れました。この地域では現在、高市姓は見られませんが、その末裔は中予に多く、高市や武智姓を名乗っています。また、土佐勤皇党総師武市瑞山半平太の祖先もこの地の出身者と伝えられています。
そして、当時、高市神社を名乗ることを憚られたため、伊予風土記の由緒に基づいて以後、貴布禰神社を名乗るようになったと考えられています。そして、神号額にはその成り立ちから「高市神社」と掲げられています。明治4年(1871年)には村社に列格され、この時期から地域の信仰の中心としての役割を強化し、地域社会に深く根付いた存在となりました。
このように同神社は、元々貴布禰神社として始まったものではなかったのです。
また、大山祇命(おおやまつみのみこと)は、山や自然の神として広く信仰されていますが、その総本社の一つ「大山祇神社」は愛媛県今治市の大三島にあります。大山祇神社は、古くから日本の武将や皇族の信仰を集めており、特に戦国時代には武士たちが戦勝祈願や奉納を行っていました。
源義経や武田信玄、上杉謙信などの名だたる武将が奉納した武具が現在も社宝として残されており、今治市と大山祇命は歴史的に深く繋がってい、ます。
海事都市としてしられる今治市は、古来からすでに海上交通の要衝として栄えており、大山祇命が守護神として崇められ、地域の人々の生活や文化にも大きな影響を与えてきました。
農業や漁業、商業の繁栄を祈願する祭事や儀式が各地の行われ、地域の発展に貢献してきました。
このように、今治市における大山祇命の関係は、古代から続く深い信仰と歴史に裏付けられており、地域の文化や社会において重要な役割を果たしているのです。このことが、今治の貴布禰神社が大山祇命を主祭神にしていると考えられます。