今治市菊間町浜、瀬戸内海を一望する小高い丘の上に、静かにたたずむ「金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)」。
この神社には、旅や航海の安全を願う人々の祈りの跡と、地域に根づいた信仰、そして菊間瓦に代表される職人たちの技が今も息づいています。
航海の安全を祈った「瓦灯籠」
金刀比羅神社の創建については明らかではありませんが、境内には、菊間町指定有形文化財に登録された2基の瓦灯籠が現存しています。
特に目を引くのは、高さ約3メートルの大灯籠。
文政9年(1826年)、航海の安全を願って建立されたもので、かつては海沿いの崖の上に立ち、暗闇を照らして瀬戸内海を行き交う船の「道しるべ」となっていました。
現在の灯籠は、平成9年(1997年)に復元されたものですが、当時の姿を忠実に再現し、金刀比羅神社の境内に今もその威厳ある姿を残しています。
本殿裏に息づく、石鎚信仰と瓦職人の祈り
本殿の左後ろには、この地に息づく信仰と職人の心をそっと伝える、ふたつの祠が静かに佇んでいます。
ひとつは静かに歳月を刻んだ石の祠、もうひとつは菊間瓦(きくまがわら)で造られた一回り小さな祠です。
このふたつの祠には、いずれも「石鎚大権現(いしづちだいごんげん)」が祀られています。
石鎚大権現
石鎚大権現は、西日本最高峰・石鎚山(標高1,982メートル)を御神体とする神で、古くから山岳信仰の象徴として篤く崇められてきました。
山そのものが神聖な存在とされる「自然崇拝」の思想と、修験道の修行の場としての歴史が融合し、四国を中心に深く信仰されています。
厄除けや家内安全、心願成就の御神徳をもつとされ、今も多くの人々が登拝や参拝に訪れます。
台座に刻まれた「前神寺」
菊間瓦の祠の内部には、「石鎚蔵王大権現」の尊像が安置されており、その台座には「前神寺(まえがみじ)」の文字が刻まれています。
この前神寺は、愛媛県西条市にある真言宗石鈇派の総本山で、石鎚信仰の拠点ともいえる霊場です。
創建は奈良時代、役小角(えんのおづぬ)によると伝えられ、後には弘法大師・空海も修行に訪れたとされる由緒ある寺院です。
石鎚山頂の奥宮と麓の人々とを結ぶ「中継の地」として栄え、江戸時代には石鎚講の拠点として全国から参拝者を集めました。
この菊間の地に「前神寺」の名を冠した祠が祀られていることは、地域に深く根ざした石鎚信仰の広がりと、文化的・精神的つながりの深さを物語っています。
菊間瓦に込められた想い
小さな祠に用いられている菊間瓦(きくまがわら)は、今治市菊間町の特産品で、平安時代末期〜鎌倉時代にはすでに生産されていたとされる、千年以上の歴史を誇る瓦です。
江戸時代には松山藩主の御用瓦としても重用され、明治以降は全国の城郭・社寺・商家などに広く使われるようになりました。
中でも菊間瓦は、海風や台風に耐える重厚さと粘り強さを持ち、釉薬をかけない「いぶし銀」色の美しさでも知られています。
また、鬼瓦や鯱(しゃちほこ)などの装飾瓦の技術も高く、単なる建材を超えて、芸術性や精神性を宿す工芸品としての価値を築いてきました。
そんな菊間瓦を用いて奉納されたこの祠は、地元で長年瓦づくりに携わってきた瓦職人の夫妻が、金婚(結婚50周年)という人生の節目にあたり、家族への感謝と地域への祈り、そして職人としての誇りを込めて丹精込めて作り上げたものです。
祠の背後には奉納者の名前が刻まれ、その姿は、単なる構造物ではなく、「祈りのかたち」そのものといえるでしょう。
また、境内にある狛犬も、同じく菊間瓦で作られた金婚記念の奉納品です。
力強くも温かみを湛えたその姿には、職人の技と信仰心が静かに息づいており、訪れる人々に深い感銘を与えます。
金刀比羅神社への行き方(アクセス)
金刀比羅神社は、今治市菊間町浜を通る国道196号線沿いにあります。
この道は「今治・道後はまかぜ海道」とも呼ばれ、瀬戸内海のきらめく海面と穏やかな海岸線を楽しみながら走ることができる絶景ルートとして、多くのドライバーやサイクリストに親しまれています。
アクセスの目印となるのは、「松本瓦興業(株)」という屋根工事会社。
その近くに、かつて営業していたドライブインの建物がひっそりと残っています。この廃ドライブインの脇にある細い坂道をゆっくりと登っていくと、やがて瀬戸内海を望む小高い丘の上に、金刀比羅神社が姿を現します。
ただし、案内標識などは目立たず、景色に見とれているとうっかり通り過ぎてしまうので、訪れる際は、慎重に周囲を確認しながら進むことをおすすめします。