平安時代初期、弘仁6年(815年)。
桓武天皇の治世を継ぐ嵯峨天皇の御代に、仏教は国家の守護と民衆の救済を担うべきものとして、ますます深く社会に根づきつつありました。
弘法大師(空海)によって襲う件
四国を巡る巡礼の旅の途上にあった真言宗の宗祖・弘法大師(空海)は、その旅の途中、伊予国・風早郡の清水の里(現在の愛媛県今治市清水)に立ち寄りました。
山々に抱かれたこの地は、豊かな自然と静寂に包まれ、仏道修行の地としてまさに理想的な環境にありました。弘法大師(空海)はこの地に深い霊性を感じ、ここに一寺を建立することを決意します。
そして、仏菩薩を安置し、人々の心の安らぎと幸福を祈念する場として創建されたのが「鶴林山空音寺」です。
「空音寺」の由来
「空音寺」という寺名には、弘法大師の深い仏教的思想を感じることができます。
「空」とは?仏教における根本真理
仏教における「空(くう)」とは、あらゆる存在がそれ自体として固定した実体を持たず、すべてが因縁(原因と条件)の働きによって生まれ、そして消えていくという真理を指します。
これは「諸法無我」「諸行無常」という仏教の基本教義と深くつながっており、人間の執着や煩悩がなぜ苦しみを生むのか、その根本的な構造を明らかにする教えでもあります。
たとえば、私たちが「これは私のもの」「私はこうあるべきだ」と固く信じている考えや物事も、よく見つめれば、他者との関係性や時代・環境の影響によって成り立っているにすぎません。
こうした“実体のなさ”を悟ることで、人は執着を手放し、自由な心を得ることができる、それが「空」の教えです。
とくに真言密教においては、「空」は単なる“無”や“否定”ではなく、すべてのものが本来、尊い意味とつながりを持ち、仏の境地へと至る可能性を秘めていることを示す教えでもあります。
「音」とは?仏法の響き、心に届く教え
「音」とは、仏の教えが声となってこの世界に響きわたり、人々の心に深く染み入るはたらきを象徴するものです。
とくに真言宗では、真言(マントラ)を唱える際に発せられる音、「唵(おん)」や「阿吽(あうん)」のような音声そのものに力があるとされ、仏と一体となる修行の根幹をなしています。
この「音」は、単に声として聞こえるものではなく、心の奥底にまで届く霊的な響きとして捉えられます。
真言を唱えることは、仏の徳と波長を合わせ、自らの身・口・意(しん・く・い)を清める行為とされ、やがては即身成仏へと至る道でもあります。
「空音寺」という名に込められた祈り
こうした「空」と「音」、二つの仏教的概念を組み合わせた「空音」は、すべてのものが無常でありながらも、仏の教えという尊い響きが、この清浄な自然の中で静かに、そして遠くまで広がっていくことを表しています。
空音寺という寺名には、まさにそのような響きを、この地から世に届けたいという弘法大師(空海)の深い祈りが込められていると考えられます。
山号「鶴林山」
山号の「鶴林山(かくりんざん)」にも、仏教的な意味が込められています。
「鶴」は、昔から長生きや清らかさの象徴とされ、とてめでたい存在として親しまれてきました。
「林」は、修行僧たちが集まり、静かに仏道の学びを深める場所をあらわします。
この「鶴」と「林」を組み合わせた「鶴林山」という山号は、自然に恵まれたこの地の静けさを映し出し、仏道の修行や教えが静かに息づく場所であることを感じさせます。
言葉を届ける出版部
現代においても、鶴林山空音寺はその創建の精神を守り続け、地域の信仰と仏教文化の拠点として、静かにその役割を果たしています。
その活動の一端を担っているのが、寺院に隣接して設立された「有限会社空音寺出版部」です。
ここでは、四国八十八箇所を巡る遍路者にとって欠かせない納経帳や御影帳をはじめ、写経用の『般若心経』や密教の経典、法要に用いられる塔婆や回向状、寺院暦、御札、祈願札に至るまで、仏教の教えと祈りに寄り添う多種多様な印刷物が丁寧に制作されています。
これらの印刷物は、四国八十八箇所巡礼や日常の信仰生活において重要な役割を果たしています。
空音寺と出版部。
この二つが寄り添いながら歩みを重ねることで、弘法大師(空海)が託した祈りと教えは、今も静かに、広く人々の心へと届いています。