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客天神社(今治市・朝倉地区)

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今治市朝倉地域・白地(しらじ)に鎮座する客天神社(きゃくてんじんじゃ・客天満宮)は、 学問の神としてしられる菅原道真公を祀る天神社です。

この神社に「客(きゃく)」という文字が冠されているのは、他の地から神を迎えて祀った「客人神(まろうどがみ)」の性格をもつことに由来します。

「客人神(まろうどがみ)」とは?

「客人神(まろうどがみ)」または「客神(きゃくじん)」とは、もともとその土地に祀られていた主神「本位神(ほんいしん」とは別に、他の地域から迎え入れられた神、あるいは後から祀られるようになった神(のことを指します。

ここでいう「客(まろうど)」とは、訪問者・外来者でありながらも、丁重にもてなされる存在の意味を持っています。

つまり「客人神」は、よそから来たが“尊ばれる神”という立場の神さまなのです。

なぜ「よそから来た神」を祀るのか?

日本の神道には、土地や自然と深く結びついた「地主神(じぬしがみ)」や「産土神(うぶすながみ)」といった、その土地固有の神がいます。

その一方で、ある神徳を持つ神を他の地域から招き、新たな力を土地に加えるために祀るという習慣も古くから存在していました。

こうした「客人神」の信仰は、以下のような背景で発展してきました。

  • 災厄を鎮めるため:疫病や飢饉のとき、よその地の力ある神を招いて鎮めを祈願
  • 特定の御利益を得るため:学問・農耕・武運などのご利益を求めて神を勧請(迎え入れる)
  • 国や集落の守り神として:外部との関係性を象徴する「境界の神」として祀られる
客人神「菅原道真公」

全国の菅原道真公を祀る神社の多くは、「客人神(まろうどがみ)」的な性格を帯びているといわれています。

菅原道真公は、平安時代の政治家・学者として朝廷に仕えた優秀な人物でしたが、
藤原氏の策略によって無実の罪を着せられ、太宰府へ左遷され、その地で不遇のまま生涯を終えました。

その後、都では落雷や疫病、貴族の急死など災いが相次ぎ、これらは道真公の怨霊によるものと恐れられるようになります。

朝廷はその怒りを鎮めるため、道真公を「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」として神格化し、
京都の北野に社殿を建立しました。これが北野天満宮のはじまりです。

北野天満宮は、福岡の太宰府天満宮と並び、菅原道真公を「天神様」として深く敬い、祈願する
天神信仰の中心として広く知られるようになりました。

やがてこの天神信仰は、道真公にゆかりのある地だけにとどまらず、直接の縁がなかった地域にも広まり、全国各地で道真公は「迎えられる神=客人神」として丁重に祀られるようになったのです。

客天神社もまさにその例であり、菅原道真公を迎え、地域の守り神として深く信仰し続けてきた歴史が、今も大切に受け継がれています。

客天神社の創建の時期

客天神社は、現在、同じ白地地域にある「須賀神社・朝倉上」が管理する飛地境内社とされています。

その創建時期については明らかではありませんが、飛地境内社であることから、管理元である須賀神社・朝倉上と同時期、あるいはそれに近い時期に勧請された可能性も考えられます。

もっとも、須賀神社・朝倉上自体も創建年代が不詳であるため、客天神社の正確な成立時期についても、現在のところ記録や確証は得られていません。

しかし、客天神社で今も受け継がれている伝統神事「弓祈禱(ゆみきとう)」の起源に、創建の手がかりを探ることができます。

神事「弓祈禱」

「弓祈禱」は、日本の伝統的な弓を用いた祈祷儀式であり、神道や仏教の宗教儀礼の一環として行われてきました。この儀式では、弓矢が神聖な道具として扱われ、邪気を払う力や願いを込めるための象徴とされています。

弓祈禱の起源と歴史

弓を用いた儀式は、古代より日本各地で行われており、その起源は神話時代にまでさかのぼります。

『日本書紀』や『古事記』にも弓を用いた神事が記述されており、特に武神や戦いの神に関連する祈祷として発展しました。中世においては、武士たちが戦の勝利を祈るために行った弓祈禱もありました。

今治市では「客神社(菊間地区)」「姫子島神社(岡村島)」、さらに「喜多浦八幡大神神社(伯方島)」では「弓放し」として行われています。

客天神社の弓祈禱

客天満神社の「弓祈禱(ゆみきとう)」は、江戸時代に起源を持つ伝統的な神事であり、市の無形民俗文化財にも指定されています。この神事は、単なる弓矢の儀式ではなく、武士の誇りと農業の繁栄を願う人々の思いが込められたものです。

江戸時代の武士は、藩から俸禄(給料)を受け取ることで生活していました。しかし、幕府の財政悪化や経済政策の影響により、特に地方の下級武士たちは十分な収入を得ることが難しくなっていきました。

そこで、多くの藩が「帰農(きのう)」、つまり武士が農業を営むことを奨励しました。

白地地域の武士たちも例外ではなく、多くが農業に従事するようになりました。彼らは田畑を耕し、米や野菜を育てることで生計を立てながらも、「武士である」という誇りを忘れず、武道の鍛錬を続けました。

その中で、弓術は比較的道具が少なくて済み、農作業の合間に稽古しやすい武芸だったことから、武士たちは弓を使い続けていました。

やがて平和な時代が進み、かつての武士たちはすっかり農民としての生活に馴染んでいきました。

しかし、彼らは祖先が武士であったことや、侍の精神を忘れないために、特別な神事を行うようになりました。それが「弓祈禱」の始まりです。

五穀豊穣と地域の繁栄を願う

こうして客天神社で行われるようになった「弓祈禱(ゆみきとう)」は、新年を迎えた最初の念仏を唱える「お口あけの日(1月3日)」に執り行われ、年の初めに的を射ることでその年の吉凶を占うようになりました。

農作物の豊作を願う信仰と、武士の弓術の伝統が結びついたことで、弓祈禱は単なる占いの儀式を超え、人々の暮らしに根付いた重要な行事となりました。

また、時代とともに武士から農民へと変わっていった人々にとっても、この神事は精神的な支えとなり、五穀豊穣や地域の繁栄を祈願しながら、新たな一年の始まりを迎える大切な日となりました。

新年の神聖なる儀式

現在、客天神社の弓祈禱は、毎年1月の第1日曜日に執り行われています。

射手に選ばれた3人(昔は年男6人)は、まず前の日から身を清める「潔斎(けっさい)」を行い、心身を整えて儀式に備えます。

当日の朝、神楽を奉納した後、水垢離(みずごり)をとり、御神酒(おみき)を戴き、羽織袴姿に身を正して、神聖な空気のなか、神社の石段を一歩一歩登って客天神社へと向かいます。

射手と、儀式進行役である矢材振りは、神官からお祓いを受け、厳かな雰囲気の中で神事が始まります。
その後、射手3人が改めて神前に進み、「大前(おおまえ)」を務める射手が片肌を脱ぎ、深く精神を集中させます。

射手たちは、約5メートル離れた直径約60センチの的に向かい、順番に矢を放っていきます。

この的の裏には「鬼」の文字が記されており、邪気を象徴するその「鬼」を射抜くことで、災厄を祓い、清らかな一年を祈願します。

地域の誇りと結束の象徴

客天神社の弓祈禱は、戦時中に一時途絶えたものの、戦後に復活し、地域に根付いた貴重な文化遺産として大切に受け継がれてきました。

毎年、多くの参拝者が見守る中、厳かに執り行われるこの儀式は、伝統の継承と地域の結束を深める大切な機会となっています。

そして、これからもその精神は受け継がれ、地域の誇りとして未来へとつながっていくことでしょう。

神社名

客天神社(きゃくてんじんじゃ)

所在地

愛媛県今治市朝倉上310

電話

0898-56-2500

主な祭礼

例祭(6月14日)

主祭神

菅原道真公・大己貴命・五男神

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