今治市には、「祇園さん」と地元民に親しまれる場所があります。それが祇園町、蒼社川のほとりにある「三嶋神社(みしまじんじゃ)・祇園神社(ぎおんじんじゃ)」です。
三嶋神社の歴史は、西暦589年の崇峻天皇(すしゅんてんのう)の時代に始まります。当時、地方豪族であった小千直益躬(おちあたいますみ)が、靺鞨(まっかつ)の国からの侵略者を撃退し、勝利の凱旋を果たしました。
靺鞨とは、古代の北東アジア、現在の中国東北部やロシア沿海州に住んでいたツングース系の諸族を指す言葉です。この地域の人々は、6世紀頃に非常に強力な部族を形成し、その勢力は日本にも影響を与えました。当時、靺鞨の侵略者たちは、強力な戦士として知られていましたが、小千直益躬はそれを見事に撃退したのです。
そしてこの勝利を記念して、榊の木の枝に大山積命の鏡を懸け、大山積大神を祀るために三嶋神社を創建しました。やがてこの木に白鳥が巣を作り、ひなを育て始めたことから、神聖な場所として「鳥生(とりう)の宮」と名付けられました。これが現在の鳥生地区の名前の由来となっています。
平成12年には現在の社殿が造営され、歴史の風格を感じさせる佇まいで、訪れる人々を迎え入れています。
祇園神社の起源は、869年に全国に疫病が蔓延した際、清和天皇の指示により京都祇園から須佐之男命の分霊を迎え、疫病除けの祈願を行ったことに始まります。この分霊を奉じて創建されたのが祇園神社です。神社はその後、旧鳥生村内にあった三島神社と合祀され、地域の人々から「祇園さん」として親しまれるようになりました。現在でも、旧暦の6月14日に行われる祇園祭には、病気平癒や疫病消除を願う多くの参拝者が訪れます。
さらに、この神社は今治地方の春祭りで舞われる「継ぎ獅子」の発祥の地としても有名です。
「継ぎ獅子」は、明治初年に氏子の高山重吉氏によって伊勢から今治に伝えられました。高山氏は伊勢への修行の旅でこの獅子舞を学び、帰郷後に三嶋・祇園神社で奉納しました。その後、高山氏の弟子たちが近隣地域で指導し、継ぎ獅子の伝統は広がっていきました。
昭和49年(1974年)には神社の境内には獅子舞発祥ノ地」の石碑が建設され、継ぎ獅子の誕生とその伝統を後世に伝える象徴になっています。
三嶋神社・祇園神社の春祭りの主役は、もちろん「継ぎ獅子」で、多彩な演目が披露された後で神社の宮出しが始まります。神輿や奴練り、さらには獅子舞の一団も一緒に神社を出発し、街を練り歩く姿は壮観で、地域の人々や観光客を魅了しています。
三嶋・祇園神社は、今治市の歴史と文化を深く感じられる場所です。春祭りの時期には、ぜひ訪れて、継ぎ獅子の華麗な舞とともに、この地域の豊かな伝統を体感してみてください。