「三嶋神社・東村(みしまじんじゃ)」は、第三十二代崇峻天皇(すしゅんてんのう)が即位して2年目にあたる西暦589年に創建されたと伝えられています。
この時代は、豪族が力を持ち、巨大な古墳を築いていた古墳時代の終わりにあたり、日本ではまだ律令制度や仏教が広まる前でした。自然や祖先を神として信仰することが中心の時代です。
三嶋神社の創建には、地方豪族であった越智直益躬(おちのあたい ますみ)が関わっています。
越智直益躬(おちのあたい ますみ)は、北東アジアに住んでいた靺鞨(まっかつ)の侵略者を撃退し、勝利を収めました。靺鞨は当時、現在の中国東北部やロシア沿海州に住む強力な戦士たちとして知られており、その勢力は日本にも影響を与えていましたが、益躬はこれを見事に退けたのです。
勝利を記念して、益躬は小千郡木下の浜(現在の鳥生の浜)で、榊の木の枝に鏡を掛け、大山積大神(天照大神の兄神)を祀るために三嶋神社(立花地区)を創建しました。
東村の三嶋神社の創建
この流れを受け、東村にある「三嶋神社」も建立されました。東村の三嶋神社は、地域の信仰の中心となり、地元の人々に守られながらその歴史を築いてきました。
和銅五年(712年)にはさらに重要な役割を果たすようになります。この年、大三島宮から高龍神(たかつりのかみ)と大雷神(おおいかずちのかみ)が三嶋神社に勧請されたのです。これにより、三嶋神社の神格はさらに高められ、地域の人々からの信仰が一層深まることになりました。
そして今日に至るまで、三嶋神社は地域の人々にとって大切な場所であり続けています。農業や漁業の神として崇拝され、毎年行われるお祭りや行事を通じて、地域の繁栄や家族の健康を祈る場所となっています。また、地元の人々にとって信仰の中心であり、家族の安寧や成功を願うために多くの人々が参拝し続けています。