「三島新宮神社・五十嵐」は、八幡山の山腹に鎮座する神社で、古くから地域に根差した祈りの場として、静かな森の中にその姿を保ち続けています。
八幡山に広がる神仏の世界
この一帯は、自然信仰や神仏習合の伝統が色濃く息づく地域であり、中でも八幡山)は、地元で霊場として大切にされてきた神聖な山です。
特に八幡山(はちまんざん)は、地元では霊場として知られ、数多くの神社や寺院が点在する神聖な場所です。
三島新宮神社・五十嵐だけではなく、八幡神を祀る「石清水八幡神社(いわしみずはちまんじんじゃ)」・「伊加奈志神社(いかなしじんじゃ)」があり、さらに山の麓には四国八十八霊場のひとつである「栄福寺(えいふくじ)」、そして「浄寂寺(じょうじゃくじ)」があります。
創建の記録に見る三島新宮神社の歴史
創建時期ははっきりしていませんが、南北朝時代の正平23年(1368年)に記された浄寂寺の記録にその名が登場しています。
このことから、少なくとも14世紀にはすでに存在しており、長年にわたり地域の人々から信仰されてきたことがわかります。
5柱の神々
三島新宮神社・五十嵐では、日本神話に登場する5柱の神々が祀られています。
詳しい記録こそ残されていませんが、れぞれの神の特徴や役割を交えながら、神社の信仰体系や地域社会への影響について考えてみましょう。
【神伊邪那美命】 国生みと繁栄の母神
「神伊邪那美命(いざなみのみこと)」は、日本神話において天地開闢(てんちかいびゃく)を成し、国生みの女神として知られています。
イザナミは日本列島や多くの神々を生み出した母神であり、生命の創造や繁栄に大きな役割を持つ存在です。
このため、三島新宮神社においては、生命力や繁栄、豊穣の祈願が特に強く意識されていたと考えられます。
地域の農業や漁業、さらには子孫繁栄に関する祈願がこの神社で行われてきたのは、イザナミの役割と関連しています。
【事解之男命災厄を祓う平穏の神
「事解之男命(ことさかのおのみこと)」は、悩みや災いを解決する神として信仰されています。
この神は、人々の心の中にある不安や苦しみを和らげ、安心や平穏をもたらす存在です。
三島新宮神社では、地域の人々が生活の中で直面する困難や災厄を取り除くために、この神に祈ることが多かったと考えられます。
災害や病気、不安定な社会情勢の中で、事解之男命への信仰は地域の安定を願う重要な要素となっていました。
【速玉之男命】死と再生の守護神
「速玉之男命(はやたまのおのみこと)」は、死と再生を司る神です。速玉之男命は、生命の終わりとその後の新たな再生を象徴し、死後の平安や浄化を祈願する神です。
三島新宮神社において、速玉之男命の信仰は、死者の霊を慰め、平和な死後の世界への旅立ちを祈るものとして大きな役割を果たしていたと考えられます。
地域社会における葬儀や供養の場としても、三島新宮神社は重要な役割を担っていた可能性があります。
【大山祇命】山と自然の神
「大山祇命(おおやまづみのみこと)」は、山の神であり、自然の守護神として広く信仰されています。
この神は、山の恵みや自然環境を守る存在であり、特に農業や林業、漁業といった自然の資源に依存する生活を送る地域社会においては非常に重要な神とされています。
三島新宮神社においては、大山祇命への祈願が自然災害の防止や豊かな収穫を願うものとして重視されていたと考えられます。
山々や森、川など自然環境を大切にする地域の生活様式が、この神への信仰に強く結びついていたのでしょう。
【上津姫命】水の守護神
「上津姫命(かみつひめのみこと)」は水を司る神で、特に農業において非常に重要な役割を果たす存在です。
水は、作物を育てる上で欠かせないものであり、上津姫命は水源の守護神として信仰されてきました。
三島新宮神社では、この神に対して水の豊かさや清浄さを保つための祈願が行われていたと考えられます。
水の神としての上津姫命の存在は、地域の農業生産に密接に結びつき、安定した収穫や豊作を祈る重要な神となっていたことでしょう。
神社が伝える祈りのかたち
三島新宮神社・五十嵐に祀られる神々の姿からは、この地に生きる人々が大切にしてきた信仰の核心――生命、自然、そして安心と平穏への願いが見えてきます。
神伊邪那美命、大山祇命、上津姫命といった神々は、生命の根源や自然の恵みと深く結びつき、地域の人々が農業や漁業など日々の営みを続けるうえで欠かせない存在でした。
また、事解之男命や速玉之男命は、悩みや災いを解き放ち、死後の平安を祈る神として、暮らしの中に安心と心の拠り所をもたらしてきました。
こうした神々への信仰は、単なる神聖視にとどまらず、自然の恵みと向き合い、時にその脅威とも共存しながら、日々の暮らしを支える祈りのかたちとして、この地に根づいてきたのです。
三島新宮神社は今もなお、地域社会の中で静かにその役割を果たし続けています。
変わりゆく時代の中でも、人々の祈りを受けとめるその姿は、信仰の原点を静かに語りかけているかのようです。