「龍岡寺(りゅうこうじ)」は、高野山真言宗に属する理観山医王院という名称を持つ仏教寺院で、愛媛県の豊かな自然と歴史が息づく高台に建っています。この寺院は、千年以上の歴史と独自の文化財を持ち、多くの人々に愛されています。
創建と初期の歴史
龍岡寺は、平安時代の延喜年間(901–923年)によって創建されました。創建当時、本尊には薬師如来像が祀られ、秘仏として大切に守られていました。この寺院は、中村の集落を見渡せる高台に位置し、地域の信仰と文化の中心地としての役割を果たしてきました。長久3年(1042年)には、源頼義が龍岡寺と光林寺に薬師堂を建立しました。これにより、寺院の基盤がさらに強固になり、地域の人々の信仰を集める存在となりました。
中世から戦国時代の発展
建徳2年(1371年)には、大般若経の写経が始まりました。この写経事業は寺院の文化的価値を高め、龍岡寺を地域の精神的拠点として発展させる契機となりました。
さらに、文中2年(1373年)には寺の名称が「神岡寺」から現在の「龍岡寺」に改められ、中世には、この地域を統治していた幸門城(さいかどじょう)主である正岡氏の菩提寺として、龍岡寺はさらに繁栄しました。
正岡氏は、当初は風早郡正岡郷(現在の北条市、松山市の一部)を本拠としていましたが、その後、越智郡に移り幸門城を拠点としました。正岡氏が幸門城を拠点としたのは保延年間(1135年〜1140年)頃から承久3年(1221年)頃までとされています。正岡氏は河野氏の重臣としても知られ、宗教的にも政治的にも地域の発展に深く関与しました。
寺伝によれば、正岡氏一族の保護の下で龍岡寺は名刹として栄えましたが、正岡氏の没落により一時的に衰退しました。しかし、寛文10年(1670年)、地域住民の尽力により寺院は再興され、再び重要な存在としての地位を取り戻しました。このように、龍岡寺は中世から戦国時代にかけて地域の宗教と政治の両面で深い役割を果たし、その後も住民の信仰心の象徴として存続してきました。
江戸時代の再建と発展
貞享2年(1685年)には、今治藩主松平定陳公によって本堂が再建されました。この時期には寺院の施設が整備され、地域の文化的中心地としての役割がさらに強化されました。江戸時代には、今治藩主からの庇護を受け、寺院の基盤がさらに強固になり、本堂や周辺の整備が進められました。
貞享2年(1685年)には今治藩主松平定陳公により本堂が再建されました。この時期、寺院施設の整備が進み、地域の信仰の拠点としての役割が強化されました。江戸時代を通じて、龍岡寺は今治藩主の庇護を受け、多くの参拝者に親しまれる寺院として発展しました。
昭和36年の火災とその後の復興
昭和36年(1961年)に発生した火災は、龍岡寺にとって大きな試練でした。この火災により、堂宇や貴重な古記録が失われただけでなく、秘仏として崇められていた本尊の薬師如来像も、創建以来一度も開帳されることがないまま焼失してしまいました。本尊の喪失は寺院にとって深い精神的打撃であり、地域の人々にとっても大きな損失でした。
一方で、この火災の中でも奇跡的に焼失を免れたのが、大般若経400巻です。このうち半分は現在、玉川町指定有形文化財として龍岡寺に保存されており、残りの200巻は朝倉村の光蔵寺に保管されています。この大般若経は、地域の歴史を語り継ぐ重要な文化財として、両寺院で共有されています。
このように壊滅的な火災にあってしまった龍岡寺でしたが、地域の人々が一丸となって寺院の復興に尽力し、失われた建物の再建だけでなく、寺院が持つ精神的な役割も回復されました。この復興は、単なる物理的な再建に留まらず、地域の結束を深め、文化や歴史を次世代に伝える新たな一歩となりました。
現在の龍岡寺は、この試練を乗り越えた証として、地域の重要な精神的支柱としての地位を再び確立しています。火災の傷跡を乗り越え、寺院は地域住民と共に未来を築いています。
現在の龍岡寺と文化財
現在の本堂には、宝暦10年(1760年)に制作された随求明王像や、宝暦12年(1762年)制作の弘法大師像が祀られています。さらに、昭和57年には伊予府中十三石仏霊場第十三番札所として虚空蔵菩薩が祀られ、平成6年には松山市在住の仏師石田嵩治氏による不動明王が安置されました。境内には、日本廻国の碑、昭和51年の災害で現れた首無し地蔵尊、隠れキリシタン碑など、多くの歴史的遺物が点在し、訪れる人々に過去の物語を伝えています。
「首無し地蔵尊」
首無し地蔵尊とは昭和51年9月、この地域を襲った台風により、山間から大水と共に流れ出た土砂の中から発見された石のお地蔵さまです。このお地蔵さまは、近隣に住む森イソさんによって見つけられましたが、身体がばらばらになっており、首から上が欠けていました。
その後、頭部を捜しても見つからなかったため、首なし地蔵さまとして龍岡寺に祀られることになりました。首なし地蔵さまは、泥の中から救われた喜びを表しているかのように、多くの参拝者に不思議なご利益をもたらすとされています。特に頭に関する病気の回復を願う人々に信仰されています。