「四郎明神社(しりょうみょうじんじゃ)」の創建は大宝元年(701年)に遡ります。
この年、大三島の大山祇神社から御分霊を勧請し、当地に祀られました。その後、寛永6年(1629年)には、地域の殖産振興に多大な貢献を果たした河野四郎為世の霊を合祀し、神社の名前も「四郎明神社(玉川町誌)」・「四良神社」として知られるようになりました。
境内には、時代を反映する多くの石造物が残されています。社名石には「四良神社」と刻まれており、幟立は明治17年(1884年)、鳥居は天保3年(1832年)、狛犬や常夜燈、注連石は明治42年(1909年)の銘が確認できます。これらは神社の長い歴史を物語る貴重な遺産です。
明治時代の制度と合祀
明治時代には「一村一神社」制度が導入されました。この制度は、神社合祀政策の一環として、地域内に複数存在していた神社を統合し、一つの神社に集約することを目的としていました。
四郎神社もこの制度のもとで、地域内に点在していた宮島さん、荒神さん、おほこさんなどの神々を合祀しました。この政策は、地域ごとの神社を管理・維持しやすくするために実施されましたが、同時に地域住民の仰や文化の変化を促す契機ともなりました。
合祀された神々は、地域ごとの仰の象徴として大切に守られてきたものであり、一村一神社制度によって四郎神社がこれらの仰を引き継ぐ役割を担うことになりました。これにより、四郎神社は地元地域の中心的な仰拠点としての位置づけを強め、現在に至るまで多くの参拝者を迎え続けています。