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古くから信仰を集めてきた神社の由緒と、その土地に根付いた文化を紹介。

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椿森神社(今治市・富田地区)

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 「椿森神社(つばきもりじんじゃ)」は、創建年代こそ明らかではないものの、古くから拝志郷喜田村(はやしごう・きたむら)の土地や人々を守護する神社として、地域の厚い信仰を集めてました。

古代からの信仰と越智氏の崇敬

とくに文武天皇の御代(7世紀末〜8世紀初頭)には、伊予国を治めていた豪族・越智氏の一族である越智玉興(おち・たまおき)が、椿森神社を深く敬い、大切にしていたと伝えられています。

このことからも、同社が地域社会において重要な精神的支柱であったことがわかります。

主祭神・伊豫豆比古命

椿森神社の主祭神・伊予津彦命(いよづひこのみこと)は、伊予・久米両郡の開拓神であり、伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)と同一神とされています。

伊豫豆比古命は、古代より伊豫国(現在の愛媛県)を国全体から見守る主宰神として崇敬されてきました。

湯の国の主宰神

伊豫豆比古命(伊予津彦命)は、「湯の国の主宰神」としても崇敬されており、特に道後温泉を中心とする伊予の霊域を守護する神として信仰を集めてきました。

道後温泉は日本最古の温泉のひとつに数えられ、『日本書紀』や『伊予国風土記逸文』にもその名が記される名湯です。

古来、湯は単なる入浴ではなく、病を癒し、魂を清め、生命を再生させる聖なる存在と考えられてきました。

その温泉地を取り巻く地勢は、肥沃な重信川流域を擁する豊かな自然環境に恵まれ、早くから人々が定住し、文化が育まれた地域でもあります。

伊豫豆比古命は、このような癒しと再生の聖地を守護する「湯の神」であり、土地神(国魂)でもあったと考えられています。

また、その霊力は地元にとどまらず、播磨国風土記には「伊与都比古の神、播磨の地で戦いし」との記述もあり、その神威は瀬戸内海を越えて広がっていました。

伊与主命(いよぬしのみこと)との関係

一方、『国造本紀』には、伊豫豆比古命と深い関係をもつ人物として伊与主命(いよぬしのみこと)が登場します。

伊与主命は応神天皇の御代に「久味国造」に任じられたとされ、同じく道後温泉を含む地域を統治していた人物です。「伊与主」=「伊豫の主」という名は、まさにこの地を治める者の称号であり、温泉地の支配と関係深い「湯の大人(うし)」に由来するともいわれます。

このように、伊豫豆比古命と伊与主命は、同一神と見る説と、祖神とその後継者という関係とする説の両方が存在します。

伊予という国土と人々を統べる象徴的な神格・首長的存在であり、道後温泉という霊地を通じて、大和朝廷との文化的・政治的なつながりを担った重要な存在であったことは間違いありません。

椿神社と伊豫豆比古命の関連性

伊豫豆比古命(伊予津彦命)を祀る神社として、愛媛県で最も有名なのが松山市居相町の「伊豫豆比古命神社(椿神社)」です。

「椿さん」といえば、愛媛県にお住まいの方であれば一度は耳にしたことがあると思います。

愛媛県には、伊豫豆比古命(伊予津彦命)を祀る神社として、四国全域にその名を知られている神社があります。

それが、松山市居相町にある伊豫豆比古命神社(椿神社)です。

「椿さん」といえば、愛媛県にお住まいの方であれば一度は耳にしたことがあると思います。

「比売と比古」椿神社の夫婦信仰

椿神社では伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)、伊豫豆比売命(いよずひめのみこと)、伊与主命(いよぬしのみこと)、愛比売命(えひめのみこと)の四柱の神を祀っています。

伊豫豆比売命の「比売(ひめ)」は、古語で女神や姫を意味し、それと対となるのが伊豫豆比古命の神名「比古(ひこ)」は男神や男性を意味します。

伊豫豆比売命は、伊予津姫命(いよづひめのみこと)と同一視されており、伊豫豆比古命(伊予津彦命)とともに夫婦神として信仰されています。

椿神社と海の伝承

椿神社(伊豫豆比古命神社)は、古くから海と深いつながりを持つ神社として知られています。

舟とともに来た神々

伝承によれば、伊豫豆比古命と伊予津姫命が舟に乗ってこの地(舟山)に来臨された際、先住の民の代表であった潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきな)が、厳頭(げんとう)と呼ばれる大きな岩に纜(ともづな)を繋ぎ、神々を迎え入れたと伝えられています。

海を由来とする名前

さらに、椿神社の周辺はかつて「津の脇の宮」と呼ばれており、「津」は港や渡し場を意味することから、椿神社が港に隣接していたことがわかります。

時間の経過とともに「津の脇の宮」という名称は少しずつ変わり、最終的には「椿の宮」へと訛っていき、「椿神社」として現在の名称が定着したとされています。

一方、椿神社の境内には、藪椿をはじめ様々な椿の木が自生しており、そのため「椿の神社」としての名前が自然に定着したという伝承もあります。

海で結びつく椿森神社と椿神社

今治市に鎮座する椿森神社と、松山市の椿神社(伊豫豆比古命神社)。

どちらも伊予津彦命(伊豫豆比古命)を主祭神として祀り、神社名もよく似ていますが、実はそれ以上に、古くから「海」と深いつながりを持つ神社であるという共通点があります。

入江の記憶と椿森神社

椿森神社が鎮座する江口は、今では想像しにくいかもしれませんが、この一帯はかつて頓田川が海へと注ぐ河口域にあたり、自然の入江が広がっていた地域でした。

それは、「江口」という地名からも読み取ることができます。

「江」は入り江や川が注ぐ場所、「口」はその出口・境界を意味しており、江口とはまさに“入江の入り口”を表す地名なのです。

この入江には多くの船が停泊し、船の往来が頻繁に行われる中で、この地域は古くから港として栄えていました。

そうした時代、椿森神社は地元の漁師や船乗りたちにとって、航海の安全や漁業の繁栄を祈るための欠かせない神社であり、同時に地域全体の発展を願う信仰の拠点として深く信仰されていたと考えられます。

椿森神社は地元の漁師や船乗りたちにとって、航海の安全や漁業の繁栄を祈るための欠かせない場所であり、地域全体の発展を祈願する信仰の拠点となっていたと考えられます。

祀られた海の神

さらに注目すべきは、椿森神社の祭神が「伊予“津”彦命(伊豫豆比古命)」であることです。

神名に含まれる“津”は、古語で港や渡し場を意味しており、伊予津彦命は海辺や港を守る神格として、江口の地にふさわしい神として祀られてきたと考えられます。

このように見ていくと、椿森神社(今治)は椿神社(松山)と同じ様に、海や舟と深い関わりをもち、伊予の海上信仰の中心的な役割を果たしてきた神社と見ることができます。

消えた風景と残された信仰

しかし、江戸時代から明治時代にかけて、江口地域では干拓や埋め立てが進み、かつて広がっていた入江の風景は徐々に陸地へと姿を変えていきました。

今では、港や入江の面影を直接見ることはほとんどできませんが、地域の地名や伝承この地に息づいていた海と信仰の歴史を今に語り継いでいます。

神社名

椿森神社(つばきもりじんじゃ)

所在地

愛媛県今治市喜田村四丁目12番35号

電話

0898-31-1742

主な祭礼

例祭(5月第2日曜日)

主祭神

伊予津彦命(いよづひこのみこと)

境内社

須佐賀神社・須佐之男神社

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