今治市には、「祇園さん」と地元民に親しまれる場所があります。それが祇園町、蒼社川のほとりにある「三嶋神社(みしまじんじゃ)・祇園神社(ぎおんじんじゃ)」です。
「三嶋神社」の歴史
「三嶋神社(東村、今治市)」は、第32代崇峻天皇(すしゅんてんのう)が即位して2年目にあたる西暦588年に創建されたと伝えられています。この時代は、豪族が力を持ち、巨大な古墳を築いていた古墳時代の終わりにあたり、日本ではまだ律令制度や仏教が広まる前でした。自然や祖先を神として信仰することが中心の時代です。
当時、地方豪族であった越智直益躬(おちあたいますみ)が、靺鞨(まっかつ)の国からの侵略者を撃退し、勝利の凱旋を果たしました。
靺鞨とは、古代の北東アジア、現在の中国東北部やロシア沿海州に住んでいたツングース系の諸族を指す言葉です。この地域の人々は、6世紀頃に非常に強力な部族を形成し、その勢力は日本にも影響を与えました。当時、靺鞨の侵略者たちは、強力な戦士として知られていましたが、越智直益躬はそれを見事に撃退したのです。
そしてこの勝利を記念して、益躬自らが榊の木の枝に大山積命の鏡を懸け、大山積大神を祀るために「三嶋神社」を創建しました。やがてこの木に多くの白鳥が巣を作り、ひなを育て始めたことから、神聖な場所として「鳥生(とりう)の宮」と名付けられました。これが現在の鳥生地区の名前の由来となっています。
さらに、「三嶋神社」では白鷺(しらさぎ)を神の使い「神使(つかはしめ)」として祀り始めました。
実は、この神社はもともと現在の場所に鎮座していたわけではなく、約500メートル離れた場所に建てられていました。しかし、明治2年(1869年)に、現在の祇園神社の地に合祀されました。
平成12年(2000年)には新たに現在の社殿が造営され、歴史の風格を漂わせながら、訪れる人々を静かに迎え入れています。
祇園神社の歴史
祇園神社のはじまりは、869年に全国で疫病が蔓延した際、清和天皇の指示により京都の祇園から須佐之男命(すさのおのみこと)の分霊を迎え、疫病除けの祈願を行ったことに由来します。もともと、この神社は「須賀神社」として創立されていましたが、須佐之男命の分霊を奉じてから「祇園神社」として新たに創建されました。
祇園神社はその後、旧鳥生村内にあった「三嶋神社」と合祀され、地域の人々から「祇園さん」として親しまれるようになりました。現在でも、旧暦の6月14日に行われる祇園祭には、病気平癒や疫病消除を願う多くの参拝者が訪れます。
「継ぎ獅子」の発祥の地
祇園神社は今治地方の春祭りで舞われる「継ぎ獅子」の発祥の地としても有名です。
「継ぎ獅子」は、明治初年に氏子の高山重吉氏によって伊勢から今治に伝えられました。高山氏は伊勢への修行の旅でこの獅子舞を学び、帰郷後に三嶋・祇園神社で奉納しました。その後、高山氏の弟子たちが近隣地域で指導し、継ぎ獅子の伝統は広がっていきました。
昭和49年(1974年)には神社の境内には獅子舞発祥ノ地」の石碑が建設され、継ぎ獅子の誕生とその伝統を後世に伝える象徴になっています。
「三嶋神社・祇園神社」の春祭りの主役はもちろん「継ぎ獅子」で、多彩な演目が披露された後で神社の宮出しが始まります。神輿や奴練り、さらには獅子舞の一団も一緒に神社を出発し、街を練り歩く姿は壮観で、地域の人々や観光客を魅了しています。
三嶋・祇園神社は、今治市の歴史と文化を深く感じられる場所です。春祭りの時期には、ぜひ訪れて、継ぎ獅子の華麗な舞とともに、この地域の豊かな伝統を体感してみてください。