「美保神社・拜志(みほじんじゃ)」は、天正18年(1590年)よりも前に創立されたと考えられている、古くからこの地で崇敬されてきた由緒ある神社です。正確な創建年は不明ですが、日本全土が戦国時代の混乱を経て、ようやく安定を迎えつつあった時期に、地域の平和と繁栄を祈願して建立されたと考えられます。
この神社は、かつては伊予国中三十二社の一社に数えられました。伊予国(現在の愛媛県)は、古代から重要な地域であり、その中でも三十二社と呼ばれる神社群は、地域社会を支える中心的な神社でした。美保神社もその一つで、拝志郷(はいしごう)の総氏神(そううじがみ)として奉斎されていました。
拝志郷の歴史
美保神社が祀られていたエリア「拝志郷(はいしごう)」は、現在の愛媛県今治市周辺に位置し、古代から農業や漁業が盛んに営まれていた豊かな土地です。
拝志郷は、今治市の南東部に位置し、特に頓田川(とんだがわ)の下流左岸地域を中心に広がっています。この地域は、現在の上徳(かみとく)、東村(ひがしむら)、喜田村(きたむら)など、今治市の主要な地区が含まれています。
拝志郷の地形は平野が広がり、農業に適した土地でした。このため、古代から農業が主な産業として発展しており、田畑が広がる風景が見られました。また、条里制という古代の土地制度の遺構が現在でも残っており、古代の人々がどのように土地を利用し、農業を行っていたかを知る手がかりとなっています。
条里制は、古代日本において、土地を整然と格子状に区画し、効率的な農業を行うための制度です。拝志郷には、この条里制の遺構が広く残されており、古代からの農業活動がこの地域で盛んに行われていたことがわかります。条里制は、平野部において特に効果的であり、土地を細かく分割して計画的に農業を行うための基盤を築いていました。
さらに、拝志郷のエリアの中には、伊予国府(いよこくふ)の跡も含まれています。伊予国府は、古代における地方の政治や行政の中心地であり、伊予国(現在の愛媛県全域)を治める拠点として重要な役割を果たしていました。この国府があったことからも、拝志郷が政治的・経済的に重要な地域であったことがうかがえます。
総氏神としての役割
総氏神とは、特定の地域全体の守護神を指し、住民たちが豊作や漁業の安全、そして地域全体の繁栄を願うために崇められる存在です。
拝志郷は、農業が中心の地域であったため、五穀豊穣を祈願するための神事が美保神社で頻繁に行われていました。また、頓田川やその周辺の漁業も重要な生活基盤であったため、海上安全や豊漁を祈る祭りも行われていたと考えられます。
神社の神事や祭りは、地域住民の生活にとって欠かせない行事であり、美保神社は拝志郷の人々にとって重要な存在だったのです。
元和5年の地域分割と美保神社の変遷
元和5年(1619年)に、拝志郷では当時の領主である堀部主膳(ほりべ しゅぜん)によって、地域が分割されるという大きな再編が起こりました。この地域分割は、江戸時代初期の領地再編に伴う重要な施策であり、堀部主膳はこの分割を通して、地域の発展と平和を目指した統治を実施していこうと考えたと思われます。
堀部主膳は、拝志郷にあった拝志城の最後の城主として、この地域全体を治めていました。堀部主膳は領主として、地域の人々の生活を守り、領地を発展させるために尽力していました。当時の日本では、領主が自らの城を中心に領地を統治し、城下町の繁栄を図ることが重要視されていましたが、堀部主膳もその一環として拝志城を拠点に地域統治を行っていました。
しかし、1615年に発布された一国一城令によって、各藩は一つの城しか保持できなくなり、複数の城を持つことが禁止されました。この法令に従い、拝志城も廃城となり、堀部主膳は城を失うことになります。一国一城令は、江戸幕府が国内の統制を強化し、大名たちが勢力を拡大することを抑制するために制定された法令であり、全国で多くの城が瞬く間に廃止されていきました。
現在の美保神社
この再編の中で、かつては拝志郷全体を守る総氏神として崇められていた美保神社も、この時期にそれぞれの地域ごとに新たな氏神が立てられることになり、その役割は現在の小さな区域に限定されました。
神社の規模が小さくなったとはいえ、地域住民にとってこの地の守護神としての役割は変わらず、信仰は脈々と受け継がれました。人々はこれまでと同様に、美保神社で祭事や神事を行い、地域の繁栄や平和を祈り続けました。美保神社は、拝志郷の歴史の一部として地域に根付き、現在に至るまで大切にされています。
すぐ隣にある堀部神社
美保神社のすぐ隣には、堀部主膳を祀る「堀部神社(ほりべじんじゃ)」が建立されています。堀部神社は、堀部主膳が亡くなった後、その功績を称えるために建てられました。堀部主膳の統治と善政は、住民たちの間で高く評価されており、堀部神社はその感謝と尊敬の象徴として存在しています。