覚庵(かくあん)の小高い丘の上に鎮座する「日吉神社」は、旧野間村の村社で、かつて「十禅宮」(じゅうぜんぐう)や「天降神社」(あまくだりじんじゃ)とも称され、長い歴史の中で地域の人々から厚く崇敬されてきた神社です。
日吉神社の創建と由来
日吉神社の創建は弘仁元年(810年)、嵯峨天皇(さがてんのう)の勅命を受けた伊予国の国司「越智宿弥実勝(おちのすくねさねかつ)」が、近江国坂本(現在の滋賀県大津市)にある日吉山王宮(現・日吉大社)から神霊である日吉大神を勧請し、この地に迎え祀ったことに始まります。
以来、千年以上にわたり、日吉神社は地域の守護神として崇敬され続けてきました。
日吉大神とは
日吉大神は、日吉山王宮の総称で、比叡山麓に位置する日吉大社に祀られる神々の総称です。日吉大社にはおよそ40のお社があり、これらの神々がすべて「日吉大神」として崇敬されています。主祭神である大己貴神(おおなむちのかみ)、別名で大国主命(おおくにぬしのみこと)は、国土を築き、人々を優しく助けた神として広く知られています。慈悲深く国土の守護神とされるこの神は、日吉大神として多くのご利益をもたらすと信じられ、日吉神社にもその信仰が伝わっています。
境内社
日吉神社の境内には、複数の境内社があり、地域の歴史と共に深く信仰されています。特に、熊野神社、岡部神社、高田霊社などがあり、それぞれが特定の祖神や守護神を祀り、地域にゆかりのある氏族や一族の崇敬を集めています。
熊野神社
熊野神社は、祭神として須佐之男命(すさのおのみこと)、菊理姫命(くくりひめのみこと)、大山積命(おおやまづみのみこと)を祀っています。七十二代鳥羽天皇の御代に紀州の熊野本宮から神霊を勧請したとされ、「皇子宮」または「真熊神社」とも称され、大沢氏の祖神として信仰されています。明治42年に大山積命が合祀され、古くからの伊予風土記の熊野峯の伝承とも関わりがあるとされています。
岡部神社
岡部神社の祭神は、重茂山の西側に位置する重茂山城の城主「岡部十郎国道公」とその夫人・衣(きぬ)夫人です。国道公は河野家の名将で、特に日吉神社を篤く崇敬していました。天正3年には日吉神社に門九神像を奉納しており、この像は現在、国の重要文化財に指定されています。岡部神社は岡部氏、高頃氏、片上氏、大河内氏、長橋氏など、地域の名家や氏族の祖神として厚い信仰を受け、令和5年には高田霊社と共に375年祭が盛大に行われました。
高田霊社
高田霊社には、重門山城主で河野家の重臣であった高田左衛門尉通成公とその夫人・操(みさお)夫人が祀られています。日吉神社から北へ四丁ほど離れた丘の上には通成公の墓所があり、その周辺には山本氏、山元氏、二宮氏、越智氏など多くの末裔が住んでいることから、地域に根付いた信仰が続いています。
「合祀宮」と両武将の歴史
岡部十郎国道公と高田左衛門尉通成公は、戦国時代に共に河野家の家臣として西側(重茂山城)と東側(重門山城)を守っていましたが、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による四国征伐で、小早川隆景の軍勢が伊予に侵攻し、両城は攻められて落城、両武将は降伏を余儀なくされました。
その後、二人は旧野間村の日吉神社に祀られることになり、地域の守護神としての役割を今に伝えています。昭和10年には両社が日吉神社に合祀され、「合祀宮」として改称されました。
日吉神社には、河野家とその家臣たちとの繋がりを示す「折敷揺れ三文字」の家紋が見られます。この家紋は、河野家が氏神として篤く崇敬していた大山祇神社の神紋でもあり、四角い折敷の中に揺れるように描かれた「三」の文字が特徴的です。
この「折敷揺れ三文字」は、河野氏の一族やその家臣にとって特別な意味を持つ家紋であり、日吉神社においてもその家紋が見られることで、河野家とその家臣団、そして日吉神社との深いつながりがうかがえます。
日吉神社に祀られている岡部十郎国道公や高田左衛門尉通成公も、河野家の家臣として「折敷揺れ三文字」の家紋の使用が許されていた可能性があり、その家紋には、激動の歴史の中での彼らの忠誠心と河野家との強い結びつきを感じさせます。
その他の境内社と神事
他にも、厳島神社、荒神社、稲荷神社、蛭子神社、椿森神社、基布祈宮、山元神社、日之若宮などがあり、それぞれの神社で御頭祭が厳修されてきました。
特に、立春のあと最初の午の日に行われる「初牛の撒餅(もちまき)」は、日吉神社の伝統的な行事のひとつで、宮出しと共に盛大に催される賑やかな祭りです。この撒餅の儀式は、古くから地域に親しまれており、参拝者や地域住民の楽しみとして毎年多くの人々が集います。
撒かれる餅には、豊作や無病息災、家内安全などの願いが込められており、拾った餅を家に持ち帰ることでご利益があるとされています。この賑やかな行事は、日吉神社の境内に活気をもたらし、地域の人々を結びつける機会となっており、日吉神社の大切な伝統行事として長く受け継がれています。