「豫中神社(のなかじんじゃ)」は、今治市玉川町中村に鎮座する古社で、大己貴命(おおなむちのみこと)と少毘古那命(すくなびこなのみこと)を御祭神としています。
御祭神の大己貴命は、別名「大国主命(おおくにぬしのみこと)」としても知られ、国土の造化・開拓をはじめ、医薬・縁結び・農業の神として古来より広く信仰されてきました。
また、少毘古那命は大己貴命と協力して国づくりを進めた神で、医療・温泉・酒造・穀物の守護神としても崇敬され、特に人々の健康と福祉に深く関わる神格を持つことで知られています。
いずれも、国土開発・医薬・農耕・生活の安寧といった領域に深く関わる神として、全国各地の神社で祀られており、豫中神社もまた、地域の人々に暮らしを支える守護神として古くから親しまれてきました。。
叶大明神から豫中大明神へ――河野通信の伝承
豫中神社の創建年代は明らかではありませんが、すでに寿永年間(1182〜1184年)には「叶大明神(かのうだいみょうじん)」と称され、この地の人々の深い信仰を集めていました。
この「叶大明神」という社号が、いつどのような理由で名付けられたのかは史料上は明示されていません。
しかし、「叶」という文字に込められた意味から、何らかの「大いなる願いが叶えられた」こと、あるいは「叶えてほしい」という切なる祈願が込められた結果であったと考えられます。
「叶大明神」の伝承と源頼朝
「叶大明神」という神号にまつわる伝承は、神奈川県横須賀市に鎮座する「叶神社」にも残されています。
この神社には、源平合戦の時代にまつわる次のような伝承が伝えられています。
「文治2年(1186年)、源頼朝公が平家を滅ぼし、長年の悲願であった源氏再興を遂げた。その大願成就の神恩に感謝し、社号を「叶大明神」と改めた」
この伝承からは、「叶大明神」という神号が、ただの敬称にとどまらず、神恩への報謝と大願成就への祈念が込められた神号であったことがわかります。
源平合戦と河野通信の活躍
さらに注目すべきは、この時代に源氏と極めて深い関係を築いていた、伊予国の有力豪族・河野氏の存在です。
治承4年(1180年)、源頼朝が伊豆で挙兵し、平家打倒の旗を掲げると、河野氏はいち早く源氏方に与し、兵を挙げました。
当主・河野通信(こうのみちのぶ・河野四郎通信)は、精強な伊予水軍を率いて各地の戦に参加し、特に源義経と連携して行われた海上戦において大いなる軍功を挙げ、源氏の勝利に大きく貢献しました。
やがて鎌倉幕府が成立すると、河野通信はその功績を認められ、源頼朝より伊予国の統治権を正式に委ねられました。
さらに、頼朝の正室・北条政子の実妹を正室として迎え、両家は政略的にも親密な縁戚関係を築くこととなりました。
「叶大明神」→「豫中大明神」
そんな河野通信が、源平合戦の真っ只中にあたる寿永2年(1183年)、伊予国玉川の中村地域に鎮座していた叶大明神を参拝した際、社の霊験の深さに深く感銘を受け、篤い崇敬の念を抱いたと伝えられています。
さらに、文治元年(1185年8月14日〜1186年8月27日)、河野通信は再びこの社を訪れ、「夢の中に神が現れ、お告げを授けられた」と、招いた村人たちに告げました。
そして、通信は旧地名「豫中(のなか)」を冠して、社号を豫中大明神と改称したとされています。
1185年4月25日に、通信は壇ノ浦の戦いにおいて、源義経らと共に平家を討ち破り、歴史的な勝利を収めています。
もしかすると、寿永2年(1183年)にこの社を参拝した通信は、戦勝を祈願していたのかもしれません。
そして社号改称は、その大願成就への感謝のあらわれだったとも考えられます。
「豫中大明神」→「豫中神社」
その後、長い歴史の中で「豫中大明神」は次第に「豫中神社」と称されるようになり、現在も地域の氏神として人々の信仰を集め続けています。
豫中神社の見どころ
このように、長い歴史と信仰を受け継ぐ豫中神社は、地域の文化や自然、芸能を今に伝える存在として、多くの人々に親しまれています。
イチョウの切り株
境内には、かつて大きなイチョウの木があり、長年にわたって神域を静かに見守ってきました。
この御神木は老朽化により伐採されましたが、現在も切り株が残されており、往時の記憶を静かに伝えています。
龍の彫刻と水の神信仰
本殿の側面には、見事な龍の彫刻が施されています。
龍は古代中国以来の聖なる存在であり、日本では水の神としても広く信仰され、雨乞いや水源守護の神事と深く関わっています。
豫中神社の龍の彫刻も、地域の農業や水にまつわる祈りと結びついていると考えられます。
連歌の書跡
拝殿には、昭和45年(1970年)3月20日に今治市の有形文化財に指定された木製の連歌の書跡が掲げられています。
中世から近世にかけて栄えた連歌文化と書の芸術を伝えるこの書跡は、神社の信仰だけでなく、文化的な側面においても高い価値を持っています。
連歌の一文字一文字に、かつての人々の祈りと美意識が宿っています。
獅子舞奉納と例祭
毎年5月の第2日曜日には、豫中神社の例祭が斎行され、今治市の無形民俗文化財に指定されている獅子舞が奉納されます。
この伝統芸能は、五穀豊穣や悪疫退散を祈願する地域の重要な年中行事であり、代々受け継がれてきた地域文化の象徴でもあります。
歴史ある御社の静けさと神聖な空気、そして神秘的な伝説に彩られた社殿や文化財。
今治市玉川地区を訪れた際は、ぜひ豫中神社に足を運び、地域に息づく信仰と伝統を肌で感じてみてください。