今治市の中心部、今治城の境内に位置する「吹揚神社(ふきあげじんじゃ)」は、長い間地元の人々に愛されてきました。この神社は、大晦日から初詣、七五三、春祭りなどの行事で多くの今治市民が訪れます。
吹揚神社の始まりは江戸時代、当時の日本は約300の藩に分割されており、各藩は独自の政治体制と軍事力を持ち、まるで小さな国々のように存在していました。しかし、時代の変遷とともに、明治維新が訪れ、新しい時代の幕が上がりました。
新政府は、近代国家を築くために藩を廃止し、県を設置することを決定。これにより、藩主の権力は中央政府に集中され、全国を一元的に統治する体制が築かれました。
そして1871年の夏には廃藩置県を正式に布告しました。これにより、全国の藩は消滅し、旧藩主たちは知藩事として一時的に行政を担当することになりました。その後、時間と共に中央から派遣された府知事や県令が各地に赴任していき、日本は実質的な統治は中央政府に移行しました。
この歴史の転換点で、吹揚神社もまた大きな変革を迎えることになります。廃藩置県の影響を受け、旧今治城(吹揚城)の本丸跡に移設されることとなったのです。そして、それまで今治市内の各所に祀られていた神明宮、座王八幡宮、蛭子宮、厳島明神の四社が合祀され、新たに吹揚神社として再編成されました。
この出来事に合わせて、神社の名称も吹揚城(今治城)にちなんだ「吹揚神社」と改められました。
1872年11月19日には、吹揚神社は正式に郷社として列せられ、1882年には県社に昇格、地域の中心的な神社としての地位を完全に確立し、多くの参拝者を迎え入れるようになりました。
現代では今治市民にとって「吹揚」と聞けばすぐに今治城をと「吹揚神社」が思い浮かぶほど、地域に根差した存在になっています。
神社の正面にあるご本殿には天照御大神が祀られており、各種御祈祷や挙式が行われます。正面左手奥には赤い鳥居が並ぶ吹揚稲荷神社があり、人気の撮影スポットです。右手奥には建設業の神様を祀る麁香神社があり、安産祈願の土居神社もあります。
住吉神社には複数の御祭神が合祀され、絵馬掛けがあり、受験や就職、恋愛成就などの願い事ができます。手水舎で清めてから参拝し、御朱印は社務所で受け取れます。
境内には邪気を防ぐ狛犬、白馬の像、神様の使いの狐の像があり、各所を散策しながら見どころを楽しむことができます。