大漁をもたらし、台風から人々を守った美保町の不思議な狸
四国の海上交通の要衝として、古くから海とともに発展してきた今治港。
その北側に広がるのが、古くから海とともに歩んできた漁師町・美保町です。

江戸時代には「猟師町」とも呼ばれ、瀬戸内海を漁場として、イワシ漁をはじめとするさまざまな漁が盛んに行われていました。
町には多くの漁船や網船が集まり、漁業は人々の暮らしを支える重要な生業となっていました。
明治時代には「今治漁業組合」が設立され、大正時代にはタイやカレイ、フグ、サワラなど、さまざまな魚が水揚げされ、町は大いに賑わいました。
そして現在も、海沿いには多くの漁船が並び、漁業は美保町の暮らしを支える大切な営みとして受け継がれています。
その一方で、海は豊かな恵みをもたらすだけでなく、ときに人々の暮らしや命を脅かす存在でもありました。
魚が獲れるかどうかは漁師たちの生活を左右し、ひとたび台風が襲えば、船や家が大きな被害を受けることもあったのです。
そうした人々の祈りを受け止めてきたのが、美保町の中央に鎮座する「美保神社」です。
古くから地域の鎮守として信仰され、漁師たちはここで大漁と航海の安全を願い、祈りを捧げてきました。
海とともに生きる美保町の人々にとって、「大漁」と「海の安全」は、いつの時代も切り離すことのできない願いだったのです。

そして、この町にはもう一つ、そんな漁師たちの願いと深く結びついた「鶴吉大明神(つるきちだいみょうじん)」と呼ばれる小さなお社と、そこにまつわる一匹の狸の不思議な伝承が今も残されています。
「樋呑の鶴吉さん」と呼ばれた狸
かつて美保町4丁目と呼ばれていたあたりには、地域の人々から「樋呑の鶴吉(つるきち)さん」と呼ばれていた、とても賢い一匹の狸が住んでいました。
※「樋呑」は「ひどん」と読みますが、「ひいどん」「ひいど」と呼ぶ人も多かったといいます。
鶴吉さんはとてもカニが好きで、近くの川へ出かけては、自分でカニを捕まえて食べていたといいます。
それだけではありません。
魚釣りも得意で、ときには自分で捕まえたカニを餌にして、魚を釣り上げていたそうです。
そんな少し変わった狸、鶴吉さんと美保町の漁師たちとの間には、やがて深い関わりが生まれていきました。

モズクガニ 撮影:ツインアルファ(Photo AC)
カニを持っていくと願いをかなえた「鶴吉さん」
鶴吉さんがカニ好きなことを知っていた漁師たちは、カニを持って鶴吉さんのもとを訪れるようになりました。
すると鶴吉さんはとても喜び、その人の願い事を何でもかなえてくれたといいます。
なかでも多かったのが、漁師たちから寄せられる「大漁」の願いでした。
海へ出る漁師たちがカニを持って願いをかけると、鶴吉さんはその願いに応え、たびたび大漁をもたらしてくれたと伝えられています。
そんな願いに応えてくれる鶴吉さんは、次第に人々から深く頼りにされる存在となっていきました。
しかし、鶴吉さんが人々にもたらしたものは、大漁だけではありませんでした。
台風の到来を知らせた狸
鶴吉さんには、海で暮らす人々を危険から守ったという言い伝えも残されています。
台風がやって来そうになると、鶴吉さんは誰よりも早くその気配に気づき、漁師たちの家を一軒一軒回って、嵐が近づいていることを知らせたといいます。
台風が本格的に襲来し、海が荒れ始めてからでは、船や漁具を守るための十分な備えをすることはできません。
そのため漁師たちは、嵐がやって来る前に船を安全な場所へ移したり、係留を強めたり、網や漁具を片付けたりと、できる限りの備えを整える必要がありました。
鶴吉さんがもたらした知らせによって、漁師たちはいち早く台風に備えることができ、その結果、大きな被害を未然に防ぐことができたとも伝えられています。

漁師たちに慕われ、神様として祀られた狸
海の恐ろしさを十分に知っていた美保町の漁師たちにとって、鶴吉さんはかけがえのない心強い存在だったのでしょう。
人々はやがて、本町6丁目、現在の沖濱商店のそばに小さなお社を建て、「鶴吉大明神」として鶴吉さんを丁重に祀るようになりました。

そして鶴吉大明神は、大漁祈願や台風除けに御利益があるとされるほか、さまざまな願い事をかなえてくれる神様として信仰を集め、多くの人々が参詣するようになりました。

人々の前に現れた白髪白ひげの老人
そして、鶴吉大明神には、もう一つ不思議な話が残されています。
なんと、鶴吉さんの姿を実際に見たという人もいたそうです。
しかも、それを目撃したのは一人だけではありません。
何人もの人が、同じような姿を見たといいます。
そして、その目撃談には、ある共通点がありました。
誰もが見たというのは、狸の姿ではありません。
それは、髪も髭も真っ白な一人の老人でした。
その老人が本当に鶴吉さんだったのか、それともまったく別の誰かだったのか、今となっては確かめることはできません。
それでも、人々がその姿を「鶴吉さんではないか」と感じたのは、それだけ鶴吉さんが人々の心のなかに深く刻まれていたからなのかもしれません。
漁師たちに大漁をもたらし、台風の危険を知らせたと伝えられる一匹の狸。
「鶴吉さん」は今も沖濱商店のそばで、海とともに暮らすこの町の人々を静かに見守っています。



