江戸時代の新田開発とともに歩んだ大新田の氏
愛媛県今治市大新田町。
浅川の河口近くに位置するこの地域には、住宅地が広がり、幹線道路沿いには商業施設が点在しています。
また、高校野球の愛媛県大会などが開催される今治市営球場や、さまざまなスポーツに利用される大新田公園のグラウンドなどが整備され、海岸沿いには砂浜や港湾施設が広がっています。
しかし、現在のような街並みになる前、大新田町の一帯には、浅川下流の低湿地が広がっていました。
江戸時代には、この土地で干拓や新田開発が進められ、新たな田畑が切り開かれるとともに、人々が暮らす集落も生まれていきました。
そして、田畑が広がり、村に人々の暮らしが根付いていくなか、江戸時代中期に地域の氏神として一つの神社が建立されたと伝えられています。
それが、「杵築神社・大新田町(きつきじんじゃ)」です。
新田開発によって誕生した大新田村と神社
江戸時代初期、慶長7年(1602年)に藤堂高虎が今治城の築城を開始し、瀬戸内海に面した城下町の整備が進められました。
寛永12年(1635年)には、徳川家康の甥にあたる松平定房が3万石で今治に入封し、以後、久松松平家による藩政が明治維新まで続くことになります。
当時の今治藩では、年貢収入の基盤となる農業生産を拡大するため、領内各地で新田開発が進められていました。
特に蒼社川や浅川の流域では、川の下流に広がる低湿地や海岸沿いの干潟を利用した開発が盛んに行われ、農地が次々と切り開かれていきました。
現在の大新田町にあたる浅川下流の北岸一帯も、こうした開発が進められた地域の一つです。
この地域は来島海峡に近く、海岸部には砂地が広がり、その背後には湿地が広がっていました。
土地が低いために潮害を受けやすく、農地を維持していくには、水の管理など多くの苦労がありました。
それでも、人々は干拓によって新たな田畑を切り開き、少しずつ農地を広げていきました。
寛永14年(1637年)の「今治石井新田御検地帳」には、すでに24町5反の田畑が記録されており、松平定房が今治に入封した直後には、この地域で相当規模の新田開発が進んでいたことがわかります。
当初、大新田は独立した村ではなく、隣接する石井村に属する新田として開発が進められていました。
慶安元年(1648年)の「今治御領分新高畝村人数帳」には、石井村の一部として「大新田」の名前が記録されています。
その後、農地の拡大とともに集落も発展し、貞享元年(1684年)までには石井村から独立した「大新田村」が成立しました。
同年の人口は120人と記録されており、新たに切り開かれた土地で人々の暮らしが営まれていたことがわかります。
村の成立後も開発は続き、元禄14年(1701年)の鞆屋新田、明和5年(1768年)の湊新田など、江戸時代を通じて新たな農地が切り開かれていきました。
大新田地域の氏神として創建された杵築神社
こうした新田開発によって大新田村が発展していくなか、江戸時代中期に地域の氏神として建立されたと伝わるのが杵築神社です。
古くから地域の人々に崇敬されてきた杵築神社には、国づくりや自然の恵み、災厄除けに関わる三柱の神々が祀られています。
- 大穴牟遅命(おおなむぢのみこと)大国主命の別名で、『古事記』や『日本書紀』に登場する国づくりの神です。少名毘古那神(すくなびこなのかみ)と協力して国土を整え、人々の暮らしの基盤を築いたと伝えられています。島根県の出雲大社に祀られる神としても知られ、農業や医薬、縁結びなど、幅広い信仰を集めています。
- 大山積命(おおやまつみのみこと)山や自然をつかさどる神で、今治市大三島町に鎮座する大山祇神社の祭神として知られています。大山祇神社は全国の三島神社・大山祇神社の総本社とされ、古くから山林や農業の守護神として崇敬されてきました。また、瀬戸内海では航海の安全を守る神としても信仰され、伊予国を代表する神々の一柱です。
- 須佐之男命(すさのおのみこと)『古事記』や『日本書紀』に登場する神で、出雲の地で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した神話で知られています。古くから厄除けや疫病除けの神として信仰され、京都の八坂神社を中心とする祇園信仰とも深い関わりがあります。人々を災厄から守り、地域の平穏を願う神として、全国各地で祀られています。
浅川下流の低湿地を開拓して生まれた大新田村では、潮害への対策や農地の維持など、自然環境と向き合いながら生活を営む必要がありました。
こうした土地で暮らす人々にとって、国づくりや農耕、災厄除けに関わる神々への信仰は、五穀豊穣や家内安全、集落の繁栄を願う暮らしと深く結びついていたと考えられます。
大山積神社の末社として崇敬
明治時代に入ると、明治4年(1871年)に廃藩置県が実施され、江戸時代から続いた今治藩が廃止されて今治県が成立しました。
また、明治政府は全国の神社制度にも改革を進め、神社を官社や諸社に区分する新たな社格制度を設けました。
地域の氏神を祀る神社にも「郷社」や「村社」といった社格が設けられ、各地の神社が新しい制度のもとで整理されていきました。
こうした神社制度の転換期の明治4年に、杵築神社・大新田町は今治市石井町に鎮座する村社・大山積神社・石井町の末社として崇敬されるようになりました。

大山積神社・石井町は、杵築神社・大新田町にも祀られている大山積命(おおやまつみのみこと)を祭神とする神社です。
奈良時代の神亀5年(728年)、聖武天皇の勅命を受け、大三島の大山祇神社から大山積大神を勧請して創建されたと伝えられています。
古くから「古別宮」と称され、大三島の大山祇神社と深い関わりを持つ神社として、近見地域の人々から崇敬されてきました。

こうした大山積神社との関係を持ちながら、杵築神社・大新田町は大新田地域の氏神として、人々の暮らしと信仰を支えてきました。
江戸時代の新田開発によって誕生した大新田村。
その歴史とともに歩んできた杵築神社・大新田町は、地域の人々の信仰を受け継ぎながら、今も大新田の地を静かに見守り続けています。



