世代を超えて愛され続ける、今治・焼豚玉子飯の軌跡
愛媛県今治市を代表するB級グルメの一つ、「焼豚玉子飯(やきぶたたまごめし)」。
熱々の白いご飯を丼に盛り、その上に薄く切った焼豚を敷き詰める。
さらに焼きたての目玉焼きをのせ、焼豚の煮汁をもとに作った甘辛いタレをたっぷりとかける。

作り方は、いたってシンプルです。
しかし、甘辛いタレをまとって艶やかに輝く焼豚と、その上を覆うトロトロ半熟の目玉焼きを目の前にすれば、それだけで思わずのどが鳴ります。
甘辛いタレをまとって艶やかに輝く焼豚と、その上を覆う半熟の目玉焼き。
レンゲやスプーンで黄身を崩せば、とろりと流れ出した濃厚な黄身が甘辛いタレと混ざり合い、焼豚とご飯を包み込みます。
あとは焼豚も卵もご飯も一緒にすくい、そのまま豪快に口の中へ。
焼豚の旨味、タレの甘辛さ、半熟卵のまろやかさが一つになり、思わず次の一口、また次の一口と、一気にかき込みたくなる味わいです。
「旨い」「安い」「ボリューミー」。
そして何より、注文してからすぐに出てくる。その「速さ」も、焼豚玉子飯の大きな魅力です。
今治では古くから商業や海運などが盛んで、商売人が多く、せっかちな気質ともいわれてきました。
そんな今治人の気質を表しているともいわれるのが、もう一つの名物「今治焼き鳥」です。
一般的な焼き鳥のように串に刺して炭火でじっくり焼くのではなく、今治では鶏皮などを熱した鉄板に広げ、その上から鉄板で押さえながら一気に焼き上げます。
この独特の調理法は、せっかちな今治の人々に少しでも早く料理を提供するために生まれたものともいわれています。
焼豚玉子飯もまた、ご飯に焼豚をのせ、目玉焼きを焼き、タレをかければ出来上がり。
注文を受けてから手早く仕上げることができ、忙しいときでも待たずに食べられる。その手軽さと速さも、今治の人々に親しまれてきた理由の一つなのでしょう。
仕事の合間にしっかりと腹を満たしたい人にも、育ち盛りの学生にも嬉しい、早くて腹いっぱいになれる一杯。
焼豚玉子飯は、そんな飾らない庶民の味として、長年にわたって今治の人々のお腹を満たしてきました。
今では「今治のソウルフード」として広く親しまれ、市内の中華料理店や飲食店などで、それぞれに趣向を凝らした焼豚玉子飯を味わうことができます。
なかでも「白楽天(はくらくてん)」は、焼豚玉子飯発祥の店として知られ、市内外から多くの人がその味を求めて訪れ


なかでも「白楽天(はくらくてん)」は、焼豚玉子飯を代表する店として知られ、市内外から多くの人がその味を求めて訪れます。


そして「重松飯店(しげまつはんてん)」もまた、焼豚玉子飯の元祖系を代表する店として知られ、長年にわたって多くの人に親しまれてきました。


そして現在では、今治を代表するご当地グルメとして全国にもその名を知られるようになりました。
しかし、この料理は最初から「今治名物」として生まれたわけではありません。
では、焼豚玉子飯はいったいどこで、どのようにして生まれたのでしょうか。
その始まりをたどってみましょう。
今治のソウルフード「焼豚玉子飯」誕生物語
昭和20年(1945年)、太平洋戦争末期の今治空襲により、市街地の広い範囲が焼失しました。
しかし、終戦を迎えると人々の暮らしとともに街の再建が進み、やがて昭和30年代の高度経済成長期を迎えると、今治は大きな発展を遂げていきました。
戦前から盛んだったタオル産業に加え、沿岸部では造船・海運業が成長。
中心市街地の商店街には多くの店が軒を連ね、大丸やダイエー、高島屋、ニチイといった大型店も次々と進出しました。
今治港には島しょ部を結ぶ船がひっきりなしに発着。
今では考えられないかもしれませんが、ドンドビ交差点や商店街は常に多くの買い物客であふれていました。
夏の「土曜夜市」ともなれば、現在の「今治おんまく」と同じくらいの人々が街へ繰り出し、商店街を埋め尽くすほどのにぎわいを見せていました。
そんな今治が活気に満ちていた時代。
昭和40年(1965年)、現在の今治市役所に隣接する「NTT西日本 今治支店」ビルのそばに、一軒の中華料理店が開業しました。

その店こそ、後に今治を代表する味となる焼豚玉子飯の原点。
「五番閣(ごばんかく)」です。
厨房の「まかない」から生まれた味
1階が駐車場、2階が店舗となっていた五番閣の厨房では、後にそれぞれ独立して店を構えることになる若い料理人たちが、日々腕を磨いていました。
そして、この五番閣の厨房で生まれた一つの「まかない」が、後の焼豚玉子飯へとつながっていきます。
中華料理店では焼豚を仕込む際、商品としてきれいに切り揃えることのできない端の部分などが生まれます。一方で、焼豚をつくった後には、肉の旨味が溶け込んだ煮汁が残ります。
五番閣の料理人たちは、こうした材料を無駄にせず、忙しい仕事の合間に手早く食事を済ませようとしました。
あるとき、ご飯の上に焼豚の切れ端をのせ、チャーハンをつくる合間に焼いた半熟の目玉焼きをその上にのせて食べてみました。
すると、焼豚や煮汁の味わいに目玉焼きがよく合い、それ以来目玉焼きも一緒に添えて食べるようになったといいます。
ご飯に焼豚、目玉焼き、そして焼豚の煮汁。
現在の焼豚玉子飯を形づくる基本的な組み合わせは、五番閣の厨房で働く料理人たちのまかないから生まれたのです。
五番閣はその後閉店しましたが、そこで培われた中華料理の技術や味、そして料理人たちが食べていた「まかない」は、そこで修業した料理人たちによって、それぞれの店へと受け継がれていきました。
高校生のお腹を満たした「五番閣チェーン」
昭和45年(1970年)、五番閣から独立した関政嗣氏が、今治北高校のすぐ隣に中華料理店「五番閣チェーン」を開業します。
関氏が目をつけたのが、五番閣時代に料理人たちが食べていた、あの「まかない」でした。
ご飯の上に焼豚をのせ、焼豚の煮汁をかけ、さらに半熟の目玉焼きを添える。もともとは厨房で働く料理人たちが、忙しい仕事の合間に手早く腹を満たすために食べていたものです。関氏はこのまかないに改良を加え、一般の客に提供する一つの料理として完成させました。
こうして店のメニューに加えられたのが、「叉焼蛋飯(チャーシュータンハン)」、つまり焼豚玉子飯です。
そして、この料理が広まっていくうえで大きかったのが、店の立地でした。
店があったのは、今治北高校のすぐ隣。
当然、店には授業や部活動を終え、腹を空かせた高校生たちもやって来ます。
熱々のご飯に焼豚をたっぷりとのせ、その上には半熟の目玉焼き。そこへ甘辛いタレをかけ、黄身を崩しながら豪快にかき込む。
焼豚、卵、ご飯という腹持ちのよい組み合わせに加えて、旨くて、安くて、ボリュームがある。
しかも、注文してからすぐに出てくる。
育ち盛りの高校生にとって、これほど嬉しい料理はありませんでした。
焼豚玉子飯はたちまち学生たちの間で評判となり、その人気は口コミによって少しずつ広がっていきました。
そして、学生たちに親しまれた味は、その場限りの流行では終わりませんでした。
高校を卒業した後も、学生時代に慣れ親しんだ焼豚玉子飯を食べに店を訪れる。その一方で、毎年新しい高校生たちが店を訪れ、初めてその味を知っていく。
そうして焼豚玉子飯を知る人は年々積み重なり、一軒の中華料理店の人気メニューから、次第に今治の人々に親しまれる料理へと成長していったのです。
白楽天から受け継がれるソウルフード
「五番閣チェーン」は、その後「白楽天」と名前を変え、多くの人々に親しまれながら営業を続け、現在の場所へと移転しました。
今では焼豚玉子飯発祥の店として、今治市だけでなく、市外からも多くの人が訪れる名店となっています。
現在は関政嗣氏から店を受け継いだ二代目店主・関英輔さんが、当時から続く味を守り続けています。


五番閣から焼豚玉子飯を受け継いだのは、白楽天だけではありませんでした。
五番閣で腕を磨いた料理人たちは、その後それぞれに独立し、自らの店でも焼豚玉子飯を提供するようになります。
その流れをくむ店として知られているのが、「白楽天」「重松飯店」そして「梁山泊(りょうざんぱく)」です。
この三店は、焼豚玉子飯の「御三家」とも呼ばれ、それぞれが独自の味を築きながら、今治の人々に親しまれてきました。

「重松飯店」の店主は五番閣で経験を積んだ後、大阪でも修業を重ね、今治で自らの店「重松飯店」を開業しました。
その際、焼豚玉子飯をメニューに加え、五番閣から受け継いだ一杯を提供するようになりました。

そして「梁山泊」もまた、五番閣の流れをくむ店の一つです。

梁山泊の店主も五番閣で腕を磨いた料理人で、独立後は自らの店で焼豚玉子飯を提供するようになりました。

また、「白龍」の店主も16歳の頃から五番閣で働き、そこで中華料理の世界に入りました。

18歳で大阪へ渡ってさらに修業を重ねた後、28歳で今治に「白龍」を開業。
焼豚玉子飯も、自らの店へと受け継いでいきました。

こうして五番閣の厨房で食べられていた「まかない」から生まれた焼豚玉子飯は、五番閣で腕を磨いた料理人たちによってそれぞれの店へと受け継がれ、今治の街へと広がっていったのです。
そして、焼豚玉子飯そのものが市民の間で広く知られるようになると、五番閣の系譜に直接つながる店だけでなく、市内のさまざまな中華料理店や飲食店でも提供されるようになっていきました。
一つの店の味から今治の街の味へ。
こうして焼豚玉子飯は、今治を代表する料理の一つとなり、現在では「今治のソウルフード」と呼ばれるまでになったのです。


今治の一杯を全国へ!焼豚玉子飯による町おこし
現在では「愛媛のご当地グルメ」として紹介されることも多い焼豚玉子飯。
今治の人々にとっては、特別に意識することもなく、昔から街の食堂や中華料理店で当たり前のように食べられてきた馴染み深い地元の味であり、もちろん外の地域の人々に知られることもありませんでした。
その流れが大きく変わるのが、平成18年(2006年)です。
12月24日、市民有志によって「焼豚玉子飯世界普及委員会」が結成されました。
当初は、メディアなどから焼豚玉子飯について問い合わせがあった際、その歴史や特徴を説明する、いわば「焼豚玉子飯の解説者」としての広報的な役割を担っていました。
つまり、この委員会が焼豚玉子飯を新たな「ご当地グルメ」としてつくり出したわけではありません。
この時すでに、焼豚玉子飯が誕生してから30年以上。
白楽天や重松飯店、白龍をはじめとする市内の中華料理店などで提供され、今治の人々にとっては昔から身近な料理として定着していました。
その「身近すぎる一杯」に改めて光を当て、今治の食文化として街の外へ発信しようと立ち上がったのが、地元の市民たちだったのです。
「今治焼豚玉子飯」として全国へ
活動の大きな転機となったのが、平成22年(2010年)でした。
「焼豚玉子飯世界普及委員会」は、この年に開催された「尾道てっぱんグランプリ」へ出展。
それまで焼豚玉子飯について説明する広報的な活動を中心としていた委員会にとって、実際に料理を提供する「出店デビュー」となりました。
そして、その結果は見事、優勝。
この出来事をきっかけとして、委員会の活動は大きく変わっていきます。
焼豚玉子飯という料理を紹介するだけではなく、この一杯を通して「今治」という街そのものを全国へ発信する。
そんな町おこし団体として、「焼豚玉子飯」の前に「今治」の二文字が加えられ、「今治焼豚玉子飯世界普及委員会」へと改められました。
それまで地元では当たり前のように食べられてきた一杯が、ここから「今治」という街の名前を背負って、全国へ向けて発信されるようになったのです。
活動には多くの市民が参加し、一時は最大72人もの市民有志が集まるまでになりました。
焼豚玉子飯を食べてもらう。
その料理をきっかけに「今治」という名前を知ってもらう。
そして、今治という街そのものに興味を持ってもらう。
一軒の中華料理店の厨房から生まれた焼豚玉子飯は、いつしか今治という街を全国へ伝えるための一杯へと変わっていったのです。


B-1グランプリでの快進撃
そして平成23年(2011年)。
「今治焼豚玉子飯」の名前をさらに大きく全国へ押し上げる舞台となったのが、ご当地グルメによる町おこしの祭典「B-1グランプリ」でした。
「今治焼豚玉子飯世界普及委員会」は、「近畿・中国・四国B-1グランプリin姫路」へ初出展。
そこでいきなり第3位となるブロンズグランプリを獲得します。
さらに同年11月には、兵庫県姫路市で開催された全国大会「第6回B-1グランプリin姫路」にも初出場し、第5位に入賞。
初めて全国大会へ挑んだ今治焼豚玉子飯が、早くも全国の注目を集めることになりました。
そして翌平成24年(2012年)。
「近畿・中国・四国B-1グランプリin鳥取」では、ついに第1位となるゴールドグランプリを獲得します。
さらに同年10月、北九州市で開催された全国大会「第7回B-1グランプリin北九州」では、全国63団体が参加するなか、第3位となるブロンズグランプリに輝きました。
五番閣の厨房で料理人たちが食べていた「まかない」が、半世紀近い時を経て、全国から集まったご当地グルメと肩を並べる存在となったのです。
しかし、その快進撃はこれで終わりませんでした。
- 平成25年(2013年):全国大会・豊川で第4位
- 平成26年(2014年):関西・中国・四国大会・府中分で第2位、全国大会・郡山で第3位
- 平成27年(2015年):全国大会・十和田で第4位
- 平成28年(2016年):西日本大会・佐伯で第4位
- 平成29年(2017年):西日本大会・明石で再び第1位(ゴールドグランプリ)を獲得
- 令和元年(2019年):全国大会・明石で第9位&審査員特別賞を受賞
一度の大会で注目を集めただけではありません。何年にもわたって全国各地へ足を運び、焼豚玉子飯をつくり、食べてもらい、「今治」の名前を伝え続ける。
そうした地道な活動の積み重ねによって、「今治焼豚玉子飯」という名前はしっかりと全国へと浸透していったのです。

焼豚玉子飯を全国へ広めた田中雅仁さん
そして、この「今治焼豚玉子飯世界普及委員会」の活動を語るうえで、欠かすことのできない人物が田中雅仁さんです。
雅仁さんの本業は、料理人ではありませんでした。
大正14年(1925年)創業の老舗「呉服すがたや」の三代目として、平成11年(1999年)に代表取締役へ就任し、長年にわたって家業を支えてきました。
その一方で、今治テニス協会の会長や、地元コミュニティFM「FMラヂオバリバリ」のパーソナリティを務めるなど、さまざまな形で今治の地域活動にも携わっていました。
そして、雅仁さんが特に情熱を注いだ活動の一つが、焼豚玉子飯を通じた今治の町おこしでした。
その活動のなかで雅仁さんが名乗ったのが、「焼豚亭玉小三郎」です。
そして、雅仁さんたちの活動を象徴するようになったのが、鮮やかな「黄色」でした。
焼豚玉子飯に欠かすことのできない、半熟卵の黄身を思わせる黄色です。
呉服店を営んでいた雅仁さんは、鮮やかな黄色の浴衣に身を包み、「焼豚亭玉小三郎」として全国各地のイベントやB-1グランプリへと登場しました。
ともに活動する委員会のメンバーたちも、黄色いシャツを身にまといました。
会場では雅仁さん自らが前に立ち、時にはマイクを握って場を盛り上げながら、焼豚玉子飯と「今治」の名前を全国へアピールしていきました。
黄色い浴衣姿の「焼豚亭玉小三郎」と、その周囲を囲む黄色いシャツ姿のメンバーたち。
一目でそれと分かるその姿は各地でも注目を集め、やがて「今治焼豚玉子飯世界普及委員会」を象徴する光景となっていきました。

今治では昔から当たり前のように食べられていた焼豚玉子飯。
その一杯を、どうすれば全国の人に知ってもらえるのか。
そして、焼豚玉子飯を食べてもらうだけではなく、その向こうにある「今治」という街を、どうすれば覚えてもらえるのか。
雅仁さんたちが全国へ届けようとしたのは、焼豚玉子飯という料理だけではありませんでした。
焼豚玉子飯を入り口として、今治という街そのものを知ってもらう。
そして、いつか今治へ足を運んでもらう。
そのために雅仁さんは「焼豚亭玉小三郎」となり、自ら焼豚玉子飯の「顔」として全国各地を駆け回ったのです。
各地へ足を運び、焼豚玉子飯をつくり、食べてもらい、今治を知ってもらう。
そうした活動は、一度や二度のイベントで終わるものではありませんでした。
何年にもわたって仲間たちと活動を続けた、その積み重ねがB-1グランプリでの相次ぐ上位入賞へと結びつき、「今治焼豚玉子飯」の名前を全国へ押し上げる大きな力となりました。
もちろん、現在の「今治焼豚玉子飯」をつくり上げたのは、雅仁さん一人ではありません。
五番閣からその味を受け継いだ料理人たち。
焼豚玉子飯を提供し続けてきた市内の飲食店。
黄色いシャツをまとい、ともに全国各地で活動してきた委員会の仲間たち。
そして、何十年にもわたってその一杯を食べ続けてきた今治の人々。
そうした多くの人々の力が重なり合って、今治で親しまれてきた焼豚玉子飯は、全国に知られるご当地グルメへと成長していきました。
そのなかで雅仁さんは、市民による町おこしの先頭に立ち、焼豚玉子飯と「今治」を全国へ伝える大きな役割を担ったのです。
次の世代へ受け継がれた「焼豚亭玉小三郎」
令和7年(2025年)7月1日。
焼豚玉子飯を通して今治を全国へ伝え続けてきた田中雅仁さんは、68歳でその生涯を閉じました。
その別れは、あまりにも早いものでした。
しかし、雅仁さんが長年にわたって築き上げてきたもの、そして焼豚玉子飯を通して今治を盛り上げようとする思いは、そこで途絶えたわけではありません。
大正14年(1925年)の創業以来、代々受け継がれてきた「呉服すがたや」は、雅仁さんの息子・田中良明さんが四代目として継承。
そして、全国各地を駆け回った雅仁さんのもう一つの名、「焼豚亭玉小三郎」もまた、良明さんが「二代目焼豚亭玉小三郎」として受け継ぎました。
現在、良明さんは「今治焼豚玉子飯世界普及委員会」の代表を務め、父や仲間たちが続けてきた焼豚玉子飯による町おこしの活動を引き継いでいます。
そして、長年にわたり「今治焼豚玉子飯」の普及に力を尽くした雅仁さん。
その功績は、「今治焼豚玉子飯世界普及委員会」の名誉会長として、今も大切に称えられています。
今治を訪れたら、本場の焼豚玉子飯を
全国にその名を知られるようになった「今治焼豚玉子飯」。
しかし、その魅力を知るなら、やはり一度は本場・今治で味わってみてほしい料理です。
現在、今治市内には数多くの焼豚玉子飯を提供する店があり、一見すると同じように見える一杯にも、それぞれの店の個性があります。
焼豚の厚さや柔らかさ、卵の焼き加減、そして味の決め手となる甘辛いタレ。
店によって少しずつ異なるからこそ、自分好みの一杯を探して食べ歩くのも、今治ならではの楽しみ方です。
そんな焼豚玉子飯巡りに役立つのが、「今治焼豚玉子飯世界普及委員会」が発行している「今治焼豚玉子飯 店舗マップ」です。
今治のご当地グルメ「今治焼豚玉子飯」を提供する店舗を紹介したマップで、市内に点在する店を探しながら、それぞれの一杯を巡ることができます。
しまなみ海道を渡り、今治城や瀬戸内海の風景を楽しみながら街を巡り、お腹が空いたら焼豚玉子飯の店へ。
一軒の味をじっくり楽しむのはもちろん、いくつかの店を訪れ、焼豚の厚さや卵の焼き加減、甘辛いタレの違いを食べ比べてみるのも、今治ならではの楽しみ方です。
今治を訪れたなら、ぜひ「今治焼豚玉子飯 店舗マップ」を片手に街を巡り、自分だけのお気に入りの一杯を探してみてください。