蔵敷の大榎に棲みついた古狸の記憶
愛媛県今治市、今治城の南西に広がる蔵敷。
この地域には、明治三十二年(1899年)に創建されたと伝えられる「毘沙門天神社」が鎮座しています。

明治維新によって社会の仕組みや地域の信仰環境が大きく変化する中、蔵敷の人々が心を寄せる新たな信仰の場として生まれた神社で、以来、病気平癒や家業繁栄、開運などを願う人々から信仰を集めてきました。
現在も地域の暮らしの中に静かに溶け込み、人々が折々に手を合わせる身近な祈りの場として受け継がれています。
そして、その毘沙門天神社の境内には、もう一つこの土地に伝わる狸信仰と深く結び付いた小さな神社が鎮座しています。

それが、「高砂八幡神社(たかさごはちまんじんじゃ)」です。
一見すれば、毘沙門天神社の境内にひっそりと佇む、小さな境内社の一つに見えるかもしれません。

しかし、その鳥居を見上げると、そこには少し意外な文字が掲げられています。
「狸魂明神」。
なぜ八幡神社でありながら、その鳥居に「狸の魂」を意味する名が掲げられているのでしょうか。
実はこの場所には、今治城の築城にまでさかのぼる、一本の大榎と一匹の古狸をめぐる不思議な伝承が残されています。

今治城築城から始まった「榎狸」の伝説
毘沙門天神社の創建よりおよそ三百年前の慶長九年(1604年)。
今治城を築いた藤堂高虎は、家臣を連れて城下のあちこちを視察して回っていました。
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あるとき、高虎が榎町(現在の蒼社町付近)までやって来ると、この地の人々に、「築城記念に余の木を植えよ」と命じました。
「余」とは、自分自身を指す言葉です。
ところが村人たちは、その意味を十分に理解することができませんでした。
「余の木」を「榎(えのき)」のことだと早合点した村人たちは、さっそく一本の榎を植えました。
こうして植えられた榎は、月日とともに大きくなっていきます。
十年、百年と歳月を重ね、やがて樹齢数百年を数える頃には、大人三人でも抱えきれないほどの大老木へと成長しました。
そして、この大榎にはいつの頃からか一匹の狸が住み着くようになりました。
大榎に住み着いた「榎狸」
その狸は、頭の毛が薄く体の大きな狸でした。
誰が最初にそう呼んだのかは分かりません。
いつしか人々は、その狸を大榎にちなんで「榎狸(えのきだぬき)」と呼ぶようになりました。
当時、この界隈には、妙なものに化けて人をだましたり、いたずらをしたりする意地の悪い狸もいたといいます。
ところが、榎狸だけは違いました。
人を化かした、悪さをしたといった噂はなく、近くの鴨部神社(または東禅寺)の使い走りをよくしていました。


ある夏の日。
そんな榎狸に悲劇が訪れます。
清水の八幡さんからの帰り道
その日は、ひどく暑い日でした。
榎狸は「清水の八幡さん(石清水八幡神社)」へのお使いを済ませ、榎へ戻る途中でした。

暑さと疲れで、すっかりくたびれていたのでしょう。
榎の近くにあった茄子畑の日陰を見つけると、そこで少しばかりうたた寝をしてしまいました。
ところが、眠っているところを蔵敷の住人に見つけられてしまいます。
棒を手にした数人の者たちが榎狸を追い立てました。
逃げる榎狸。
追いかける人々。
そして榎狸は、ついに逃げ切ることができず、あえない最期を遂げました。
その晩のことです。
狸を退治した人々を中心に隣近所の者たちが集まり、皆で狸汁を作りました。
榎狸を仕留めたことを喜びながら、にぎやかに狸汁を囲んだのでしょう。
しかし、それを境に村では奇妙なことが起こり始めます。
次々と起こり始めた異変
最初は偶然と思われたのかもしれません。
ところが、榎狸を退治した者が亡くなる。
その家族にも異変が起こる。
それだけではありませんでした。
その晩に狸汁を食べた者まで、奇妙な病にかかってしまったのです。
次々と起こる変死や、原因の分からない病に、さすがに人々も不安になりました。
そして、いつしか誰もが同じことを考えるようになります。
「これは、榎狸の祟りではないか」
榎狸は、人を化かしたことも、悪さをしたこともない狸でした。
神社の使いをしていたともいわれる、その榎狸を殺して食べてしまった。
人々の恐れは、日に日に大きくなっていきました。
榎狸の霊を鎮めるために建てられた「高砂八幡」
このままではいけない。
そう考えた地域の有志たちは集まって相談し、榎狸の霊を鎮めるため、祈祷をしてもらうことにしました。
そして祈祷の結果、榎狸を祀るための新たな宮を造ることになりました。
選ばれたのは、現在の毘沙門天神社の隣地です。
当時、この辺りには萩が一面に咲き乱れていたことから、毘沙門天は「萩の森の毘沙門天」とも呼ばれていました。
その毘沙門天のそばに新宮を建て、人々は「高砂八幡」として榎狸の霊を祀りました。
すると、それまで相次いでいた災難は、次第に少なくなっていきました。
人々も、これで榎狸の霊は鎮まったのだろうと思ったことでしょう。
ところが、完全に終わったわけではありませんでした。
しばらくすると、またぽつり、ぽつりと、奇妙な病にかかる者が現れるようになったのです。
鴨部神社に祀られた「お狸様」
「まだ、榎狸の霊は鎮まっていないのではないか」
そこで人々は、さらに丁重に榎狸を祀ることにしました。
蔵敷町の青野小三郎氏の発起によって、榎狸が生前、使い走りをしていたとされる鴨部神社の境内に、新たな社(右側:榎狸の宮社)が造られました。

そして、人々はその社を「お狸様」と呼びました。
そして今度こそ、榎狸の霊を慰めるように、これまで以上に丁重に祀りました。
すると不思議なことに、それまで続いていた災難は、ぷっつりと起こらなくなりました。
人々を守る「お狸様」へ
人々から恐れられていた榎狸の祟り。
しかし、その霊を祀り、手を合わせるようになったことで、榎狸は次第に恐ろしい存在ではなく、地域の人々から「お狸様」と呼ばれる信仰の対象へと変わっていきました。
一方、榎狸が暮らしていた大榎は、その後も長く榎町に立ち続けていました。
しかし、大正末期、この地方を台風が襲います。
数百年もの歳月を生きてきた榎も老齢には勝てず、激しい風雨に耐えきれないまま、ついに倒れてしまいました。
その後、同じ場所には二代目の榎が植えられ、大きく成長しましたが、この榎もやがて伐られてしまいます。
こうして、榎狸が住んでいたという大榎は、この地から姿を消しました。
しかし、大榎がなくなっても、「お狸様」への信仰まで消えることはありませんでした。
むしろその後、榎狸が人々を災いから守ったかのような不思議な出来事が重なり、「お狸様」への信仰はさらに深まっていくことになります。
そのきっかけとなったのが、後の時代に起こった二つの火災でした。
炎に包まれた今治と焼け残った宮社
昭和二十年(1945年)、太平洋戦争末期。
戦局が日本本土へと迫る中、全国各地の都市がアメリカ軍による空襲にさらされるようになり、瀬戸内海に面する今治も、その標的の一つとなりました。
今治が最初の空襲を受けたのは、四月二十六日の朝のことでした。
B-29爆撃機が市上空へ飛来し、日吉地区を皮切りに中心市街地へ爆弾を投下。
住宅や公共施設などが被害を受け、今治郵便局や明徳高等女学校でも多数の犠牲者が出るなど、市民に大きな衝撃を与えました。
しかし、それからわずか二週間ほどしか経っていない五月八日、今治は再び空襲を受けます。
この二度目の空襲では、今治駅周辺を中心として爆撃が行われ、多くの家屋が損壊し、再び市民の命が奪われました。
二度にわたる空襲を経験した今治。
それでも、さらに大きな惨禍が待ち受けていました。
昭和二十年八月五日深夜。
今治の上空に、三度目となるB-29の大編隊が現れます。
日付が六日に変わる頃から、市街地に向けて大量の焼夷弾が次々と投下されました。
木造家屋が密集していた当時の今治では、落下した焼夷弾によって各所で一斉に火の手が上がります。
一軒の家から隣の家へ。
一つの町から、さらにその先の町へ。
炎は瞬く間に広がり、住宅だけでなく、学校や公共施設、神社、寺院なども次々と焼け落ちていきました。
真夜中の市街地は炎と煙に包まれ、人々は燃えさかる家々の間を逃げながら、必死に安全な場所を求めました。
長い年月をかけて築かれてきた今治の町並みは、わずか一夜のうちにその姿を失っていきます。
この三度目の空襲によって今治市街地の大半が焼失し、多くの市民が犠牲となりました。
三度にわたる空襲の中でも、八月五日から六日にかけての攻撃は、今治にとって最大の惨禍となり、市街地は一面の焦土へと変わったのです。
ところが、その猛火の中で一つの不思議な出来事が起こりました。
周囲の家々が次々と焼け落ちていく中、榎狸を祀った宮社は、炎に焼かれることなく残ったのです。
「ご利益」を授ける「お狸様」
さらに、別の火災の際にも不思議な出来事があったといいます。
榎の近くに住んでいた榎狸の信者の家が火災に遭ったものの、榎の木が炎を遮るような形となり、その家は焼失を免れました。
今治空襲では榎狸を祀った宮社が焼け残り、別の火災では、榎狸を信仰する人の家が大榎によって守られるように焼けずに済んだ。
こうした出来事が重なるにつれて、地域の人々の間では「お狸様」への信仰がさらに深まっていきました。
高齢者の中には、「お狸さんにお参りすると、ご利益がある」と信じて参拝する人も多くなり、その「ご利益(ごりやく)」を、狸にちなんで「ご狸益(ごりやく)」と洒落て呼ぶ人までいたといいます。
榎狸の伝承を今に伝える高砂八幡神社
かつて榎町にそびえていた大榎は、もうありません。
その木に住み着き、神社への使いをし、人々に命を奪われ、やがてその祟りを恐れた人々によって祀られた一匹の狸。
はじめは恐れられていた榎狸も、長い年月の中で、いつしか人々を災いから守り、ご利益を授けてくれる「お狸様」として信仰されるようになりました。
そして、その伝承を現在へと伝えているのが、毘沙門天神社の境内に残る高砂八幡神社です。
榎狸の霊を鎮めるために祀られたとされるこの小さな社の鳥居には、今も「狸魂明神」と記された神額が掲げられています。
藤堂高虎の時代に植えられたという一本の榎。
そこに住み着いた一匹の狸。
その死をきっかけとして起こったとされる数々の異変と、祟りを恐れた人々による鎮魂。
そして、やがて「お狸様」として信仰されるようになった榎狸。
大榎そのものは失われましたが、榎狸にまつわる伝承まで消えたわけではありません。
その記憶は高砂八幡神社という形となって残され、今も毘沙門天神社の境内で静かに受け継がれています。



