古くから信仰を集めてきた神社の由緒と、その土地に根付いた文化を紹介。
特集記事
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《世田山合戦⑮ 完》細川氏との最後の決戦と、秀吉の四国征伐。世田山城が見届けた激動の時代
河野氏とともに戦い、河野氏とともに歴史を閉じた山城応仁元年(1467年)、京都では室町幕府の実権を握る細川勝元と山名宗全が、それぞれ全国の守護大名を率いて激突しました。将軍家の後継問
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《世田山合戦⑭》そして戦国時代へ……。乱世の伊予を二分した家督争い「河野宗家 vs 豫州家」
応仁の乱が開いた戦国乱世足利義満の時代、室町幕府は南北朝の内乱を終わらせ、将軍を頂点とする新たな政治体制を築き上げました。伊予国でも河野氏は幕府の信任を取り戻し、守護として再びその地
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《世田山合戦⑬》河野通之が果たした兄との約束。応永の乱、そして二つの河野氏の始まり
河野氏の運命を変えた兄弟の約束応永五年(1398年)、病に倒れた河野通義(こうの みちよし・河野通能)は、その死を前に弟・河野通之(こうの みちゆき)へ家督を譲り、一族の将来を託しました。
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《世田山合戦⑫》南北朝時代の終焉を駆け抜けた若き伊予守護「河野通義」
足利義満が描いた新たな時代と河野氏天授五年/康暦元年(1379年)11月6日、佐々久原の戦いで河野通直(通堯)は細川頼之と激戦を繰り広げた末、自ら命を絶ちました。その後、細川軍は東予
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《世田山合戦⑪》細川頼之、再び伊予へ……。世田山の因縁から十五年「河野通直(通堯)最後の戦い」
父子二代にわたる因縁、ついに決着の時。河野通直(通堯)が伊予国で河野宗家の旧領を取り戻した頃、九州では征西府を中心とする南朝勢力と室町幕府方との戦いが、新たな局面を迎えていました。当
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《世田山合戦⑩》三年越しの祖国への帰還 ── 河野氏再興を懸けた伊予奪還戦
九州から伊予へ、伊予の歴史を変えた大反攻伊予に残っていた河野一族や家臣たちは、細川勢の厳しい監視のため、容易には海を渡って通直のもとへ向かうことができませんでした。そのため、多くの者
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《世田山合戦⑨》若き河野宗家当主が歩んだ再興への道「伊予脱出と九州・征西府」
再び一つとなった河野宗家と伊予南朝方正平十九年/貞治四年(1364年)、世田山合戦で河野宗家を破った細川頼之(ほそかわ よりゆき)は、伊予国の政治・行政の中心である国府が置かれた伊予府中(現
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《世田山合戦⑧》父の遺志を継いだ細川頼之と河野通朝 ── 伊予北朝方を二分した決戦「1364年 世田山合戦」
偉大な父たちの時代を越え、再び伊予の命運を懸けた戦いへ「思い残すことといえば、伊予国のことばかりである」との言葉を残し、都で壮絶な討死を遂げた北朝方の名将・細川頼春(ほそかわ よりはる)。
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《世田山合戦⑦》新伊予守護・細川頼春と河野通盛の対立 ── 南朝との戦いの後に始まった、もう一つの戦い
北朝方内部で激化する伊予の主導権争い興国三年/康永元年(1342年)9月。四国の細川勢力は阿波・讃岐・土佐を基盤に勢力を広げ、北朝方の四国経略を担っていました。その中心にいた
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《世田山合戦⑥》伊予国の命運をかけた南北朝の決戦「1342年 世田山合戦」
「伊予南朝方」対「北朝方四国総大将・細川頼春」興国三年/康永元年(1342年)。北朝方四国総大将・細川頼春率いる軍勢によって川之江城を失い、金谷経氏の決死の反撃も阻止されたことで、伊